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『探偵小説』という新しいジャンルを切り開き、特に名探偵明智小五郎や怪人二十面相などでおなじみ。日本の探偵小説の創生者としてリードし続けたのが
江戸川乱歩大先生。
小生をはじめとし、少年時代に「少年探偵団シリーズ」、明智小五郎と怪人二十面相の対決の行方に心踊らされた男子は数知れないことでありましょう。
また、決して子供向けでなく、倒錯趣味などアダルト向けの作品も数多く執筆。
しかしながら、一作家にとどまらず、戦後は探偵小説の普及のために尽力。または推理小説専門の評論家としてもご活躍。
つまりもし乱歩先生がいなければ、横溝正史の「金田一耕助」も、あるいはかの「見た目は子ども、頭脳は大人」のこの探偵さんもいなかったのかもしれません(笑)
今宵はそんなそんな、日本のミステリー界においてあまりにも偉大な巨匠、江戸川乱歩先生の個性を分析・検証させていただいたのであります。
江戸川 乱歩先生は1894年(明治27年)10月21日生まれ。
「ひとりのときの性格」「本質の自分」は
「活動的なコアラさん」
「みんなといるときの性格」「表面の自分」は
「ひつじさん」
「生き方・ポリシーのタイプ」は
「マイウェイさん」
まずはそんな乱歩先生のご経歴をみていきましょう。
1984年、三重県名賀郡名張町生まれ。
ですが父の転勤に伴い、翌年名古屋市へ引っ越し。
小学生のころに母に読みきかされた菊池幽芳訳『秘中の秘』が、探偵小説に接した最初という乱歩先生は、中学では、押川春浪や黒岩涙香の小説を耽読していたとか。
そんな乱歩先生は旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)卒業後、早稲田大学政治経済学部へ。
大学卒業後に就いた仕事は
21歳、図書館勤務、家庭教師。
22歳、大阪市の貿易商加藤洋行勤務。
23歳、タイプライター販売員、三重県鳥羽造船所電機部社員。
25歳、造船所退職後、古本屋「三人書房」開業。 11月、中華そば屋開業。政治漫画誌「東京パック」編集
26歳、東京市役所社会局吏員。大阪時事新報記者。
27歳、日本工人倶楽部書記長。
28歳、大橋弁護士事務所に勤務。
29歳、7月、大橋弁護士事務所を辞し、大阪毎日新聞社広告部に入社。
・・・と転職すること数知れず。
そして
昭和 3年、牛込区戸塚町に下宿屋『緑館』を開業するも、3年後下宿屋の廃業を決意。
小説家としては
1923年、『新青年』に掲載された「二銭銅貨」でデビュー。
初期は欧米の探偵小説に強い影響を受け、
「D坂の殺人事件」、「心理試験」など、いわゆる本格派と呼称される短編を執筆し、日本人の創作による探偵小説(推理小説)の基礎を築きます。
また、グロテスク、残虐趣味などの倒錯趣味に走り、これらを活かした通俗探偵小説は昭和初期から一般大衆に大人気。
一方で少年向けとして書かれた、明智小五郎と小林少年や少年探偵団が活躍する『怪人二十面相』などは言わずもがな、といったところでしょう。
他方、戦前からは評論家としても活動し始め、戦後は特に評論家、プロデューサーとして活動するかたわら、探偵小説誌『宝石』の編集・経営に携わった乱歩先生(晩年の乱歩先生は経営難に陥ったミステリー雑誌「宝石」救済のために尽力し、自ら編集長になって、あちこちまわって原稿をもらい歩きしましたが、1964年に「宝石」は廃刊)。
また、日本探偵作家クラブ(後の日本推理作家協会)の創立と財団法人化に尽力。同クラブに寄付した私財100万円の使途として江戸川乱歩賞が制定され、同賞は第3回より長編推理小説の公募賞となりましたね(^。^)y-.。o○
戦後は、新人発掘にも熱心で、高木彬光、筒井康隆、大薮春彦など、先生に才能を見出された作家は少なくありません。
また日本国外の推理作家との交流にも積極的で、かの大御所エラリー・クイーンと文通してアメリカ探偵作家クラブ (MWA) の会員にもなったほか、フランスのイゴール・B・マスロフスキー、オランダのロバート・ファン・ヒューリック、W・G・キエルドルフ (nl) 、ソビエト連邦のロマン・キム (ru) 、韓国の金来成らと文通し、彼らを介して各国の推理小説事情を日本に紹介していましたね(^-^)
では、ここで乱歩先生のエピソードをいくつか。
先生のデビュー作であり、秀作といわれた「二銭銅貨」。
このアイデアを考えたのは乱歩先生が一時的に失業していた1920年のことのもよう。
奥様よりからお金が尽きてしまったけど、どうしようと言われ、わずかに手元にあった二銭銅貨を見つめているうちにこのことを思いついたという話も。
(ちなみに1920年頃の物価では二銭というとアンパン1個の値段)。
同時にこの頃、後に先生の編集者となる横溝正史先生との交友も始まります。
金田一耕助シリーズで知られる横溝正史先生ですが、初期のころは「新青年」の編集長として江戸川乱歩先生を担当。
しかし乱歩先生の遅筆には散々悩まされている日々。
それを象徴するエピソードが1928年新青年新年特別号に掲載された「あ・てる・てえる・ふいるむ」の事件。
この時締め切りに向けて乱歩先生の筆が全然進んでいない様子に当時の横溝先生はかなり焦っておられたもよう。
穴をあけるわけには行かない。そこで横溝先生は密かに自分で乱歩風の作品を書き上げ、それを隠し持って締切寸前の乱歩先生の元を訪れます。
そして
「先生、できましたでしょうか?」
との横溝先生の質問に乱歩先生は案の定
「済まない。全然できてない」
の答え。
そこで横溝先生は
「無礼は承知なのですが、実はここに自分が先生風の小説を1本書いて来ました。これを先生の名前で掲載させていただけませんでしょうか?」
乱歩先生はそれを快諾し、トイレに立ちます。そして戻ってきてから
「実は書いたのだけど、自信がなかったんだ。君のがいい出来だから、それを載せて欲しい。自分が書いたのは今トイレに流して来た」
と告白。
横溝先生は恐縮しますが、結局この作品
「あ・てる・てえる・ふいるむ」は乱歩先生の名前で雑誌に掲載されたとか(^-^)
さて、ここからはお待ちかね、乱歩先生の個性・生き方を検証してまいりましょう。「ひとりのときの性格」「本質の自分」は「活動的なコアラさん」。 このようなところがあるかも・・・・。
■ロマンチストだけど現実的な面も持つ
■ペース配分が重要な勝負に強い
とありますがまず
■ロマンチストだけど現実的な面も持つ
の部分。ここは二銭銅貨のエピソードをはじめ、まさにフィクションのミステリーを書くにあたり大いに妄想を膨らませたであろう乱歩先生。
また
■ペース配分が重要な勝負に強い
とあるように、 遅筆はありながらも、マイペースで小説を書きづつけたところには、まさに「コアラさん気質」がでているのかもしれません。
一方で「みんなといるときの性格」「表面の自分」は「ひつじさん」という乱歩先生。このようなところがあるかもしれません。
■皆で助け合いの精神
■はっきりとものがいえる
まずここの
■皆で助け合いの精神 といえば、のちの推理小説普及のためにミステリー作家の協会をつくったところにまさにあらわれているのでは??
また
■はっきりとものがいえる
といえば、横溝先生による代作事件にでているのかも・・・・・
最後に「生き方・ポリシーのタイプ」は「マイウェイさん」 という乱歩先生
■マイウェイさん=社交的な頑張り屋さん
■人との駆け引きがうまい
■相手が何をほしがっているか瞬時で見抜く力があり、何かと世話を焼くのをいとわないため周囲にはいつも人が集まるし、本人も積極的に人とかかわろうとする
ここは、もしかしたら戦後にプロデューサーとして活躍した際、日本のミステリー普及のために海外の作家とも積極的に交流していたところにでているのかもしれませんね(^-^)
なつかしの「少年探偵団シリーズ」。夏の夕暮れにお読みになるのもまた一興かと。小生もこれを機に、全集を図書館で借りてこようかと・・・・。
それでは小生、夜食をいただきます。読者の皆様おやすみなさいませ。





