去年、9月の終わりの日曜日
ちょうどその日は、音楽投票サイト「Japanese Dream」の締切日。
いつも即日開票をチャットでやってまして、私も参加させて頂いています。
その日妻は、妊娠中で、おなかが痛いと寝込んでおりました。
それは、いつものただのお腹痛だと思っていた。
もうすぐ、チャットが始まる時間・・・。
しかし、お腹痛は、ただのお腹痛ではなかった。
タクシーを呼んだ。
病院へ向かった。
原因はわからなかった。
病院を出た、その少しあと、破水が起こった。
動転した。
タクシーに乗った。
クリニックに行った。
が、(移転先の大きい)病院に行ってくれと言われた。
ちょうどその頃は、切迫流産で、小さいクリニックから大きい病院に移る手続きをしてたときだった。
タクシーで家に戻った。
救急車を呼んだ。
病院へ向かった。
・・・
あと1週くらい遅ければ、安定期に入るから、そこからなら処置することも可能だったけど。
処置することは絶望に近い状態であった。
妻と話あって、病院を出て帰宅した。
そして翌日。病院が開く時間をめがけて、急いでバイクを飛ばした。
・・・が、遅かった。
死産という結果が待ち受けていた。
病院へ着いた。
妻は、ただ、ただ、泣いていた。
何も言えなかった。
死産しても、外に出さないといけない。
そのときの痛さは、出産のときと、そう変わらない。
そんな女性の気持ちなんて男性には遥か理解できないところにあるかもしれない。
2日後、赤ちゃんと面会した。
死産で出てきた赤ちゃんは、
小さいけれど、ちゃんと手も足もあって、顔には目も鼻も耳も口もちゃんとあって。
手を握った。
ちょうど、この歌に出てくるように
「覚えてますか、初めて触れたとても小さな手のひら」
それは、とても小さな小さな手のひら。
小さくてもちゃんと指もちゃんと5本あって。
ただ、この曲は当時はまだ発表されてなくて1カ月後くらいに知ることになるが。
この曲を知った直後、和紗さんのミニライブがあると知り、
かけつけて聴いたとき、ボロボロ泣いた。
話を戻すとしよう。
死ぬということは悲しいこと。
だけど例えどんなに死んだとしても、赤ちゃんに巡り合えたことは嬉しいこと。
でも赤ちゃんと過ごせる時間はごく僅か、火葬するまでの数日の間だけ。
火葬場を探さなきゃいけない。
これは、夫として、妻のかわりにやらなきゃいけない重要な任務だ。
しっかりしなきゃいけない。
火葬場はすぐ見つかった。
火葬場を予約した。
親に電話した。
そこの火葬場で本当に良かったの?
どうやら、そこの火葬場。
火葬しても、全部灰になってるから、遺骨は残らない・・・と。
(大人は大きいから遺骨は残るけど、死産の赤ちゃんは小さいから遺骨は残らないと)
あせった。近隣の火葬場を徹底的に調べた。
そしたら1件だけ、
個別で火葬してくれてる火葬場があって。
温度を調節しながらできるだけ遺骨が残るように火葬してくれる火葬場に
巡り合うことが出来ました。
死産したときに、聴きたい曲は、何ですか?
あなたは、何を聴きますか?
「千の風になって」
でしょうか?
悲しいだけですか?
悲しいのですか?
そんな沈んだ暗い顔をしてたら、亡くなった赤ちゃんに失礼ですよ?
せめて、火葬するまでは、悲しい顔は、やめておきましょう。
死んだことは悲しいこと。
でも出逢えたことは、嬉しいこと。
そんなとき、私は、この曲を聴いてました。
吉川友「こんな私で良かったら」
今は、この曲を聴いたら、多分世の中では元気が出る曲なんだろうけど、
私には当時を思い出して泣けてきます。
明るくて元気が出る曲なんですが、
それだけじゃなく、歌詞もいいんです。
どこが、どのへんが?
と思われるかもしれませんが。
ただ泣けるだけの歌が、泣ける歌なのですか?
この歌は、決して泣くような歌ではないし、
泣くこと自体恐らく想定外だと思われます。
だから、そのギャップみたいなものが逆にツンツンして心にくるんですよ。
例えば、失恋して、ただ失恋して悲しいの・・・て曲を聴くのではなく、
楽しかったときの思い出の曲を聴くほうが、
ジーンときませんか?
それと同じだと思います。
だから「楽しい曲」も「悲しい曲」も、
どちらもあとになれば思い出となって全てがよみがえってくるものなのです。
音楽は、心の中の写真。
アルバムをめくれば思い出すように、音楽を聴くと思いだす。
だから音楽ていいですよね。
ちょうどその日は、音楽投票サイト「Japanese Dream」の締切日。
いつも即日開票をチャットでやってまして、私も参加させて頂いています。
その日妻は、妊娠中で、おなかが痛いと寝込んでおりました。
それは、いつものただのお腹痛だと思っていた。
もうすぐ、チャットが始まる時間・・・。
しかし、お腹痛は、ただのお腹痛ではなかった。
タクシーを呼んだ。
病院へ向かった。
原因はわからなかった。
病院を出た、その少しあと、破水が起こった。
動転した。
タクシーに乗った。
クリニックに行った。
が、(移転先の大きい)病院に行ってくれと言われた。
ちょうどその頃は、切迫流産で、小さいクリニックから大きい病院に移る手続きをしてたときだった。
タクシーで家に戻った。
救急車を呼んだ。
病院へ向かった。
・・・
あと1週くらい遅ければ、安定期に入るから、そこからなら処置することも可能だったけど。
処置することは絶望に近い状態であった。
妻と話あって、病院を出て帰宅した。
そして翌日。病院が開く時間をめがけて、急いでバイクを飛ばした。
・・・が、遅かった。
死産という結果が待ち受けていた。
病院へ着いた。
妻は、ただ、ただ、泣いていた。
何も言えなかった。
死産しても、外に出さないといけない。
そのときの痛さは、出産のときと、そう変わらない。
そんな女性の気持ちなんて男性には遥か理解できないところにあるかもしれない。
2日後、赤ちゃんと面会した。
死産で出てきた赤ちゃんは、
小さいけれど、ちゃんと手も足もあって、顔には目も鼻も耳も口もちゃんとあって。
手を握った。
ちょうど、この歌に出てくるように
「覚えてますか、初めて触れたとても小さな手のひら」
それは、とても小さな小さな手のひら。
小さくてもちゃんと指もちゃんと5本あって。
ただ、この曲は当時はまだ発表されてなくて1カ月後くらいに知ることになるが。
この曲を知った直後、和紗さんのミニライブがあると知り、
かけつけて聴いたとき、ボロボロ泣いた。
話を戻すとしよう。
死ぬということは悲しいこと。
だけど例えどんなに死んだとしても、赤ちゃんに巡り合えたことは嬉しいこと。
でも赤ちゃんと過ごせる時間はごく僅か、火葬するまでの数日の間だけ。
火葬場を探さなきゃいけない。
これは、夫として、妻のかわりにやらなきゃいけない重要な任務だ。
しっかりしなきゃいけない。
火葬場はすぐ見つかった。
火葬場を予約した。
親に電話した。
そこの火葬場で本当に良かったの?
どうやら、そこの火葬場。
火葬しても、全部灰になってるから、遺骨は残らない・・・と。
(大人は大きいから遺骨は残るけど、死産の赤ちゃんは小さいから遺骨は残らないと)
あせった。近隣の火葬場を徹底的に調べた。
そしたら1件だけ、
個別で火葬してくれてる火葬場があって。
温度を調節しながらできるだけ遺骨が残るように火葬してくれる火葬場に
巡り合うことが出来ました。
死産したときに、聴きたい曲は、何ですか?
あなたは、何を聴きますか?
「千の風になって」
でしょうか?
悲しいだけですか?
悲しいのですか?
そんな沈んだ暗い顔をしてたら、亡くなった赤ちゃんに失礼ですよ?
せめて、火葬するまでは、悲しい顔は、やめておきましょう。
死んだことは悲しいこと。
でも出逢えたことは、嬉しいこと。
そんなとき、私は、この曲を聴いてました。
吉川友「こんな私で良かったら」
今は、この曲を聴いたら、多分世の中では元気が出る曲なんだろうけど、
私には当時を思い出して泣けてきます。
明るくて元気が出る曲なんですが、
それだけじゃなく、歌詞もいいんです。
どこが、どのへんが?
と思われるかもしれませんが。
ただ泣けるだけの歌が、泣ける歌なのですか?
この歌は、決して泣くような歌ではないし、
泣くこと自体恐らく想定外だと思われます。
だから、そのギャップみたいなものが逆にツンツンして心にくるんですよ。
例えば、失恋して、ただ失恋して悲しいの・・・て曲を聴くのではなく、
楽しかったときの思い出の曲を聴くほうが、
ジーンときませんか?
それと同じだと思います。
だから「楽しい曲」も「悲しい曲」も、
どちらもあとになれば思い出となって全てがよみがえってくるものなのです。
音楽は、心の中の写真。
アルバムをめくれば思い出すように、音楽を聴くと思いだす。
だから音楽ていいですよね。
