病床読書
大西康之『流山がすごい』

井崎市長の家の選び方がすごい。井崎さんは市長になる前にヒューストンに住んでいて、日本に戻ることになって家を探し始めます。その選び方で、大学院で都市計画コンサルタントを学んだ知見を光らせます。

立地条件は「都心に通勤可能で緑に囲まれ将来性のある高台」。現地を見ずに資料だけ日本から取り寄せて物件を決めます。当時1989年まだ開通していないつくばエクスプレス(TX)と、流山インターチェンジができることを見越しつつ、区画整理の計画書を読み込み、水害にも地震にも強いことを踏まえ、首都圏の中で流山が最もポテンシャルがあると結論します。

「井崎は頭の中のイメージと、実際の景観をすり合わせながら歩いた。あと数十メートルも歩けば、ヒューストンで購入を決めたマンションが見えてくるはずだ」

はじめは市長になる考えはなく、会社員として東京勤務の生活を送っていました。ところが暮らしの中で市の財政が長期的に問題があること、そして駅前にごみ処理施設の建設計画を知って阻止するために立候補しました。

僕が好きなのは第3代流山市長の秋山氏(本書執筆時95歳)の話しを聞く章。1981年当時、県議だった秋山氏は現TXが流山市を通らない路線図で計画が進んでいるのを知りました。焦った秋山氏は「その日から毎週のように霞ヶ関・永田町詣でを始めた」。通ううちにキーマンを探し出して仲良くなり、最後には田中角栄の目白御殿に辿りつき、そこで訴えて流山まで電車が通ることになりました。フィクションのようなドラマがある、流山は1日にしてならず、の巻です。

流山の発展を押し上げたのが日本の大型ショッピングセンターの草分け「高島屋S・C」の進出です。高島屋S・Cはニコタマで駅が畑に囲まれていた時に進出して大成功を収めていた経験があります。公募をかける時に井崎市長は「敷地内の緑化と、10年以上緑を枯らさないこと」を条件付けます。高島屋S/Cは都市計画のなかで緑のあるまちづくりの価値を理解していたことで、同じ方向性を共有できました。

そういった大きな都市開発の話しもあれば、1人の女の子稲葉さんの物語にもまた引き込まれます。稲葉さんは高校時代「白牛酪餅」を食べて感動して和菓子屋さんを目指します。朝5時台から工場入りをして、夕方5時まであんこを煮たりみっちり修行をする日々を送ります。大変だけどやりがいのある職人仕事に、なり手が少ない近年、稲葉さんのぶれない姿勢に応援心でいっぱいになります。本書では物件が決まったところで終わります。ググってみると最近、女手1つで開業したお店がブログに上がっていました。たぶん〈和菓子や めい月〉だと思います。いつか行ってみたいです。

まず冒頭の送迎保育ステーションの充実度で驚きます。人口は20万人ですけど、地方税収入は300億円程度で西尾市と同規模です。人口増加数全国1位の街にはたくさんのヒントが詰まっています。

キャッチコピーは「母になるなら流山市。」「父になるなら流山市。」。