『暇と退屈の倫理学』という本が面白いです。
まだ全部呼んでないですけどテーマにはっとさせられました。
暇というと良くないことというのか、
暇人と言うとちょっとバカにしたような言い方に感じますよね。
しかし昔は有閑階級という地位があったぐらい、
暇な人は偉い人がいられるポジションだった。
それがいつしか暇人なんて非生産的で、
タイムイズマネーを無視するろくでもない輩みたいな雰囲気になっている。
何でそんな変化が起きたのか、
人間にとって暇がどんなことに寄与しているのかを考える画期的内容です。
「貧乏暇無し」というと清貧で有難い存在として、
「暇の無い忙しい人」はデキる人という印象もある。
この本を読んでから、
暇が無いように振る舞うことも現代的能力の一つだと思うようになりました。
そういえばマルクスも『資本論』では労働者が資本主義の搾取から逃れる術は、
労働者の暇を作ることだ、
というところに帰結していることを読んだ気がします。
だけど、この本ではこの複雑なところの説明も面白い。
ヘンリー・フォードが労働者に週二日の暇を作った理由のエピソードがあります。
労働者にはちゃんと休ませたほうが生産性が高まることを発見して、
土日に飲みにいって潰れて翌日仕事にこれないということがないように、
探偵をつけて皆遊び呆けていないのかチェックをしていた。
つまり仕事のための休み。
仕事に差し支える行動を禁じられた監視社会的なものもあったという話し。
いかに暇を獲得できるかが人間の幸福にとって大事なことである、
という内容の本だと思います。
最後まで読んでませんけど。
僕は隙間時間をいかに埋めるのかを考えることに精を出していたので、
この逆転はなかなか受け入れがたいです。
数分の待ち時間があればスマホのニュースを見るとか、
LINEの返信をするとか。
暇とはやっつけるやつであった。
しかし、確かによくよく考えると、
僕が尊敬する人には暇人が多い。
ニートみたいな人と話すことに楽しみを感じることがよくある。
なんだろうこれは。
しばらく暇について考えてみます。