ネットのニュースで《裁判員の心理的負担を軽減するという理由で、裁判所が遺体写真などの「刺激証拠」を裁判員裁判から排除する運用が定着している》という記事を見かけた。普通の生活を送る一般市民が担う裁判員に残酷な犯行現場を見せることに配慮をしているということだろうが、裁判員たちに事実を事実として正確に認識してもらうための障害になる側面も否定できない。


裁判所のそのような処置に異議を唱えているのは検察側である。「百聞は一見にしかず」と言うが、多くの言葉よりも一枚の現場写真の方が事件の本質をよく語るのはよくわかる。「被告人はナイフで被害者をめった刺しにして惨殺した」という検察官の言葉よりも、血まみれで横たわる被害者の遺体写真を見せる方が真実を雄弁に語るであろうことは想像できる。


また、ちょっと意外なのは、被害者の遺族側も検察官と同じように刺激証拠を見せる方に賛成している点である。普通、殺害された被害者の写真など第三者である裁判員に見せたくないのが被害者側の人情だと思ったが、彼らも刺激証拠を隠蔽せず公開することを望んでいるという。それは裁判員たちに証拠を通して犯行の残虐さを知ってもらい、より重い刑罰を被告人に与えてほしいという思いからである。


一方、配慮を理由に刺激証拠を見せない傾向の裁判所側の言い分は、「すべてを明らかにしなくても想像力で補える」というものである。これもこれで理解できなくはない言い分であるが、問題は裁判員の中には想像力に乏しい裁判員もいるにちがいない点である。そんな裁判員をきちんと説得するには、検察側が犯行の残虐さを細かく言葉にして再現する必要がある。


まったく難しい問題であるが、わたしは刺激があろうとなかろうと、裁判所は裁判員に直接証拠を開示して、犯行の真実をきちんと認識してもらうしかないのではないかと思う。想像力を原動力とする演劇活動をしているわたしでさえ、想像力では到達できないものがこの世の中には存在すると思うからである。


※裁判所。(「ぱくたそ」より)