1999年に名古屋市のアパートで起こった未解決の主婦殺人事件の犯人が26年の時を経て逮捕された。犯人は被害者女性の夫の高校時代の同級生だった。被疑者は捜査当局に「捕まるのが嫌だった」「毎日が不安だった」と語ったと伝えられたが、警察からDNAの提出を求められ、それに応じた翌日に警察署に出頭したのは「もう逃げられない」と覚悟したということか。


犯人による自首という形で逮捕に至った本件であるが、目下、人々の最大の関心事は「彼女はなぜ主婦を殺害したか?」という点であろう。すなわち、犯行の動機である。1999年、当時43歳の被疑者は一回り年下の同級生の妻をなぜ刃物を使って殺害したのか? さしあたり想像できるのは「かつて好きだった同級生の若い妻の平和な生活に嫉妬したから」というような動機だが、おそらく真の動機とはほど遠いものであると思う。人間は嫉妬するが、簡単に他人を殺さない。彼女を殺人に駆り立てた真の動機とは何か?


「私は、何によらず、動機というものはすべての人間の犯す罪において、いちばん大事な点ではないかと思っています。動機のない犯罪というものはありません。動機のある犯罪ほ、人間がもっとも窮極の立場におかれたときの性格の現われではないかと思います。したがって、動機を追求するということは、すなわち性格を描くことであり、人間を描くことに通じるのではないかという考えをもっているのであります」(「随筆 黒い手帖」松本清張著/講談社文庫)


折りに触れて読み直す松本清張の小説作法の中にある文章だが、被疑者の動機にこそ、本件の核心であり、残されたご遺族が最も知りたいことであると思う。そして、仮に被疑者の犯行動機が上記のような単なる嫉妬心であったとしたら、わたしは押し黙り、事件をすぐに忘却すると思う。「太陽がまぶしかったから」とまでは望まないが、26年間、家族の目を欺き、ひっそりと逃亡生活を送った被疑者女性が平凡な主婦を殺害した犯行動機は、やはりわたしの想像を超えるものであってほしい。


もちろん、人間が犯す殺人のような犯罪の根本的な原因は、金やセックスや怨恨などのような類型的な動機に起因するにちがいないと思うけれど、その動機の細部にはわたしたちがあっと驚く新鮮な心理が存在してほしいとわたしは思う。


※「随筆 黒い手帖」の表紙。