日本を訪れた外国人が口を揃えて賞賛するのはウォシュレット型のトイレについてである。確かに外国人の目でウォシュレット型のトイレを眺めれば、その性能のすばらしさに感嘆するのもうなずける。わたしたちもちょっと前まではそうでないトイレを経験してきたからである。文明という言葉は、本来は言語能力の高さを示す言葉だと思うが、わたしが最も身近に「文明」という言葉を実感するのは、ウォシュレット型のトイレを使用した時である。至れり尽くせりとはまさにこのことではないか。


トイレだけではなく様々な分野における日本人の技術力は世界での評価を獲得していると思う。その最たるものの一つは、新幹線に代表される高速鉄道に関する技術であろうか。早く快適でしかも安全という三拍子揃った新幹線の存在は、トイレ同様、日本人の繊細さが生んだ世界に誇るべき成果である。詳しくはわからないが、同じ意味において、ビルの建設や橋を架ける技術力も相当に高いのではないかと想像する。新幹線を作る技術を持つ日本人は、他の分野でもその頭脳の力を発揮するはずだから。


コンビニエンスストアで売られているおにぎりも、日本人の至れり尽くせりの精神がいかんなく発揮された製品だと思う。完成品ではなく、購入後にその場で海苔でおにぎりを包むように作られたあの「仕掛け」は、おそらくアメリカ人は決して発想しない種類のものだと感じる。このような「微に入り細を穿つ」ような日本人の細々とした工夫は他にもたくさん例があり、その成果は100円ショップに行けばよくわかる。


つまり、そういう製品を作ることができる日本人の技術力とその原動力になる想像力は世界的に見ても非常に繊細であると言える。そんな繊細な想像力を生んだ根本的な原因は、日本民族が本来的に持っていた特質ではなく、日本という国の地理的な条件に起因するのではないかとわたしは考える。列島の周りを海が取り囲み、春夏秋冬という四季を持つこの国の人々は、季節ごとに様々な感受性を育み、自分が住むこの世界に対して他の国の人たちに比べてより多彩に対応してきた。その結果がこういう「至れり尽くせり」の技術として結実したにちがいないと思うからである。


✵コンビニのおにぎり。(「いらすとや」より)