とあるパーティ(食事会)で結婚相手を募集中の女性Aさんと話をした。彼女はフードカーで仕事をする35歳の自立した女性である。わたしは演劇や映画については詳しいが、男女の恋愛に関しての知識や経験に乏しいので、何もタメになることは言えないのだが、席の位置の都合もあり、彼女についての私見を述べることになった。
Aさんによれば、マッチングアプリなどを通して男性と出会い、デートもするが、決め手に欠けてどうしても結婚相手としての付き合いが続かないらしい。まあ、こんなことはよくあることで、必ずしもAさんに限ったことではないのだろうが、本人的には切実な問題であることは理解できる。彼女は25歳ではなく35歳なのである。高望みをするから踏み切れないという要因もあるにちがいないが、そんなことはなかなか言えず、およそ次のようなことを言った。
わたし「わたしは人生とは非常に皮肉にできていると思う。熱烈に望んだものは簡単に手に入らない。だから、いくら努力しても理想の結婚相手に出会うことはできないと思う。しかし、結婚を諦めて、仕事に精を出そうと決意した時、出会いは意外な形で訪れる」
まあ、Aさんにしてみれば、毒にも薬にもならない楽観的な意見だと思うが、もしもわたしが脚本家としてAさんのドラマを書こうとするなら、そういう展開をさせると思う。少なくとも「簡単にマッチングアプリで理想の結婚相手と出会えました!」という展開では、ドラマとしてヤマ(盛り上がり)がなさ過ぎる。
わたし「わたしの知っている役者さんは、プロ野球観戦中、外野席でホームランボールを獲得し、そのボールを近くにいた少年に譲り、それをきっかけとして少年と一緒に野球観戦をしていた姉と出会い結婚した。世の中にはそんな出会いもあるんだから」
それにしても、この世に男女の出会いほど不思議なものはない。もちろん、ホームランボールの出会いは極端な例ではあるが、マッチングアプリなど使わなくても今日もどこかでまったく意外な男女の出会いは生まれていると思う。まあ、そんなロマンチックなことを夢想するのは、わたしが人間の夢を描く劇作家だからかもしれないが。