見知らぬ異国を舞台に失踪した人間を探すことを描く映画がある。わたしが思いつく限り以下のような作品である。


●「ミッシング」1982年

●「ザ・バニシング -消失- 」1988年

●「フランティック」1988年

●「ドリーム・チーム」1989年

●「プライベート・ライアン」1998年

●「告発のとき」2007年

●「96時間」2008年

●「女神は二度微笑む」2012年 


これらの作品は、普通の失踪を描いた映画よりも目的達成のハードルが高い。その人物が失踪した場所が勝手知ったる自国ではなく、相手とのコミュニケーションが難しい外国だからである。そんな状況で失踪した人間を探さなくてはならなくなった人の気持ちを想像すると、その焦燥感の強さは察して余りある。「呆然とする」とはまさにそのような状況に置かれた人間の感情ではないか。


そんなことを考えたのは、わたし自身が先日、韓国のソウルで数日を過ごしたからである。そして、「もしもわたしがここで失踪したら、同行者たちはさぞかし途方に暮れるだろうなあ」と想像したことによる。また、逆に同行者が失踪してしまって探索を余儀なくされても。言葉が通じない異国での人探しは困難を極めるにちがいない。こういう局面において、普段はまったく縁がない「日本大使館」という存在の必要性を強く感じるにちがいない。


柳楽優弥主演の「誰も知らない」(2004年)という日本映画の舞台は外国ではないが、この映画も失踪の映画に連なる内容を持っていると思う。本作の舞台は外国ではなく東京だが、ここでは母親がいなくなり、保護者がいない状態で生活することを余儀なくされた子供たちが描かれる。言葉も通じる日本国内での話でも、頼る人間がいない状態での子供たちだけの生活は困難を極めることがよくわかる。本作は、たとえそこが山や海でなくとも人間は遭難する場合があることを教えてくれる。


2000年に起こったルーシー・ブラックマン事件において、来日したルーシーさんのご家族が直面した困難も同様である。この事件は日本において元客室乗務員のイギリス人女性が失踪し、後に切断遺体となって発見された殺人事件である。来日して娘の安全を祈りながら、言葉がわからない日本で過ごしたイギリス人の家族たちの気持ちを想像すると、キリキリと胃が締めつけられる。おそらく彼らには周りの人間がすべて敵に見えるのではないか?


✵失踪。(「いらすとや」より)