アキ・カウリスマキという人の名前を聞いたことがあるだろうか? 独特なタッチで人間を描くフィンランド出身の映画監督である。日本でもカルト的な人気を誇る監督だと思う。最新作「枯れ葉」も話題になっていた。わたしは必ずしもこの人の映画をたくさん見ているわけではない。「コントラクト・キラー」(1990年)と「過去のない男」(2002年)くらいである。先日、U-NEXTでこの監督の初期作品「マッチ工場の少女」(1990年)を見た。公開当時、まったく見る気にならなかった映画である。初見。


マッチ工場に務めるイリスは両親と三人暮らし。稼いだ給料も自由に使えず楽しみもない。ある日、彼女はバーで知り合った男と一夜をともにするが、彼の子供を身ごもってしまう。男との新しい生活を夢見るが、男はイリスにつれなく接して子供の墮胎を願い出る。男に憎しみを募らせたイリスは薬局でネズミ駆除の毒物を買い求める。


先に「独特なタッチで人間を描く」と書いたが、本作もまさにそうとしか言えないムードの映画である。見ようによれば、本作は恋愛を主軸とした「犯罪サスペンス映画」と呼べなくない内容を持つが、そうまとめると本質をまったく捉えていないように感じる。「アキ・カウリスマキ節」としか呼びようがないスタイルであり、内容である。まずヒロインがまったくヒロインらしからぬ容貌であるところが特異である。


しかも、登場人物たちの会話が圧倒的に少なく、台詞らしい台詞をギリギリまで排除して物語は展開する。その代わりにヒロインが聴く現実音として何度か音楽が流れる。その歌の歌詞がヒロイン心情を代弁するような役割を果たしている。感情表現に著しく乏しい登場人物たちの大胆な行動が独特なユーモアを生み、不思議な世界を現出させる。


カウリスマキ映画の特徴とその魅力は、登場人物たちが物事に対して大げさな表現を一切しない点にある。そして、劇中で起こる大変なこと(殺人や事故)の深刻さとそれに対するリアクションの小ささのギャップが独特な笑いを生み出す。喩えるなら血まみれなのに平然としている人間の醸し出す可笑しさと不気味さ。また、セックスと暴力を直接的に描かず暗示だけする作風も特徴的である。


✵同作。(「ナタリー」より)