将来への不安を持つことは人間として当たり前のことであると思う。どんな時代、性別・年齢を問わず、どんな国の人々も「将来、自分はどうなってしまうのだろう?」という不安を多かれ少なかれ抱いて生きていると思う。なぜなら、明日は必ずやって来るという絶対の確証はどこにもないからである。病気になったり、事故や事件に巻き込まれ、いきなり命を落とす可能性も100パーセントないとは言えないのだから。それでも人間はそんな不安を忘れ去り、毎日を生きる。


かく言うわたしもそんな一人に他ならないが、わたしはどちらかと言うと、自分の将来に対して楽観的な人間であるように思う。これは何も今に始まったことではななく、若い頃からそのような性質を持っていたように思う。不安は不安だが、「何とかなるさ」という根拠なき楽観性。そもそもわたしが演劇などというヤクザな世界に足を踏み入れ、それを生業(なりわい)にしようと考えたのも、根本的にはそういう楽観性に根差している。ゆえに「面白きことなきこの世を面白く。住みなすものは心なりけり」という幕末の志士・高杉晋作の言葉に深く共鳴したりした。


しかし、世の中にはわたしのような楽観主義者ばかりがいるわけではなく、もっと現実的な将来設計をしている人の方が多いと思う。若い頃ならいざ知らず、中年期を迎えば、普通は誰しも自分や家族の将来を念頭にして日々の生活を営むにちがいない。イソップ童話「アリとキリギリス」にちなんで言えば、わたしはその日暮らしの享楽的なキリギリスであり、そういう人たちは未来を見据えた現実的なアリであろうか。


どちらがいいとか悪いとか言いたいわけではない。だが、少なくともわたしは「明日は明日の風が吹く」という人生観を持って生きていると言いたいだけである。そういうヤツを「風来坊」と呼ぶのだとは思うが、人生とは予想がつかない出会いの連続である。明日のことなど誰にもわからない。ならば、わたしはその運命に身を任せたいと思う。改めてわたしが言うまでもないが、問題は人生の終わりに「あゝ楽しかった!」と思えるかどうかなのだから。


いずれにしても、将来への不安から人間を解放してくれる唯一の方法は、考えるのではなく行動することであるとわたしは思う。


✳高杉晋作。(「国立国会図書館」より)