Netflixで「最悪の選択」(2023年)を見る。何の予備知識もなかったが、鬱映画の匂いがぷんぷんするので食指が動く。原題は「口径」という意味。イギリス映画。


旧友同士であるマーカスとヴォーンは、スコットランドの田舎町を訪れ、狩猟に出かける。しかし、森の中でヴォーンは鹿と間違えて少年を撃ち殺してしまう。マーカスは反撃しようとした少年の父親を射殺。かくして、二人はその事件を隠蔽し、田舎町から逃げようとするが、殺した二人が村の有力者の義理の弟と甥であることがわかる。


死亡事故をめぐる隠蔽と暴露を主題とする映画は今までにも「最後まで行く」(2014年)における刑事による轢き逃げ事故、「インソムニア」(2002年)における刑事の誤射による同僚の死亡事故などがあるが、わたしは好むジャンルである。これらの死亡事故を扱う映画にわたしが関心を持つのは、加害者が悪意を持った殺人者ではなく、善良な一般であることが多いからである。ゆえに本作の狩猟中の誤射による死亡事故という設定も興味深く見た。


下手をするとどここで見たような凡作にもなり得た題材をうまく料理して、本作ならではのオリジナリティを獲得していると思う。少年の頭部に証拠になり得る銃弾が残っているので、犯人たちがそれをナイフで除去しなければならなくなるというえぐいシークエンスなどがそれに当たる。とりわけ、村人に捕獲された二人がなぶり殺しに遭うにちがいないという予想を裏切るラストシーンは独創的である。そして、作者は、主人公かそう行動せざる得ない状況を作り、観客を説得する劇的境遇を提示している。少なくともわたしは映画を見ながら「そんなわけあるわけねえだろ!」とは少しも思わなかったのだから。


タイトルにもなっている「最悪の選択」の結果、主人公に訪れるのは死であるし、死であるべきだとわたしは考える。それは、例えば、「ファイナル・ディスティネーション」(2000年)シリーズを見れば一目瞭然である。しかし、本作が面白いのは、主人公を二人にして、片方には死を与えるが、片方には生きて償う運命を与える点である。穿ったことを言えば、本作が描く犯罪とその処罰の在り方は、「贖罪」(しょくざい)という難しい観念を考える上で示唆に富んでいる。ラストシーン、日常に戻ったヴォーンが生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱き、鏡の前で立ち尽くす場面に余韻があるのはそのせいである。


予想通り、陰鬱な胸糞映画であるが、サスペンス映画好きの方には一見を勧める佳作である。


✵同作。(「Movie Walker」より)