少し前のことだが、ロジャー・コーマンの訃報が届いた。98歳。若いアナタはまったく知らない名前だろうが、わたしは知っている。低予算映画を数多く製作したことで知られ、「B級映画の帝王」などと呼ばれるアメリカの映画のプロデューサーである。自伝である「私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか」(早川書房)は出版当時、話題だった。この人の元で若き日のジョン・カーペンターやロン・ハワードやジェームズ・キャメロンなどが修行を積んだと聞く。
わたしが見ているロジャー・コーマン映画は「リトルショップ・オブ・ホラーズ」(1960年)、「X線の眼を持つ男」(1963年)、「赤死病の仮面」(1964年)くらいで、必ずしもたくさん見ているわけではないのだが、その理由はタイトルを見て辟易したせいである。以下はこの人が作った映画のタイトルだが、それを耳にするだけで、およそ内容は想像がつくのではないだろうか。
●「海底から来た怪物」(1954年)
●「金星人地球を征服」(1956年)
●「原子怪獣と裸女」(1956年)
●「巨大カニ怪獣の襲撃」(1957年)
●「血のバケツ」(1959年)
●「姦婦の埋葬」(1962年)
●「忍者と悪女」(1963年)
まさに「B級映画の帝王」の面目躍如たるタイトルの映画群である。コーマンはエドガー・アラン・ポーの怪奇小説をたくさん映画化したことでも知られるが、おそらく「ポーの作品はすばらしい!」と感動して映画化を試みたわけではまったくなく、「この原作は低予算でイケる!」というプロデューサーとしての読みゆえにそれらを映画化したにちがいない。
コーマンの作品の質よりも低予算で映画を作ることに重心をかけた映画作りのスタンスは、現場の人たちからは文句を言われたりしたかもしれないが、コーマンに難癖をつけるヤツは、プロデューサーを務めたことがない理想主義者である。もちろん、下手に作れば安っぽいそれになるのは当然だが、それが低予算の映画であっても、作り手がその条件を逆手に取って工夫を凝らせば、その映画はあっと驚く傑作になる場合もあるのだから。少なくともそんな逆境があったからこそ、後にすぐれた映画監督として名をなす上記の映画監督たちは腕を磨くことができたのだと思う。
プロデューサーとしてアカデミックな賞とは無縁の映画人生だったかもしれないが、こういう人の存在は、アメリカ映画の底辺を支える力であったと思う。謹んでご冥福をお祈りする。