わたしはどちらかと言うと、映画をビジュアルよりもストーリーで見る方だが、折に触れて、ストーリーではなくその映画の一場面を不意に思い出すことがある。そんなことを以前もこのブログに書いているが、プールで潜水すると「ポセイドンアドベンチャー」(1972年)のジーン・ハックマンの潜水場面を思い出したり、地下鉄で電車待ちしていると「サブウェイ・パニック」(1974年)の乗っ取り犯人のロバート・ショウを思い出したり、ビルの階段を上ると「タワーリング・インフェルノ」(1974年)の消防士を思い出したり、まあ、いろいろである。


すぐれた映画監督とは、ストーリーの語り手としての技巧も必要だと思うが、より本質的には映画を見た人の記憶に鮮烈に残る視覚的な場面を作り出せる人であるように思う。最近、わたしがしばしば思い出すのは「タイタニック」(1997年)における客船沈没の最終場面である。


真っ二つに折れた巨大な客船の半分が水中に引き込まれる直前、船は船尾を空に突き上げ静止する。垂直に持ち上がったその上に本作の主人公であるジャックとローズがいる。その近くに二人の男女がいるのを覚えておいでだろうか? 一人は三等客らしい若い女、一人は白いタキシードを着た中年男である。欄干に掴まって今にも落ちそうな若い女とローズは一瞬、目が合う。その直後、若い女は海へ落下する。ローズが中年男をチラリと見ると、中年男はポケットウィスキーをぐいと飲んでいる。その直後、タイタニック号は轟音とともに海中へ引きずり込まれるのである。


社会生活をしていると、様々な局面において隣り合わせになる他人がいる。わたしは今、この文章を珈琲ショップで書いているが、わたしが座ったテーブルの横に何やら難しそうな本を読んでいる見ず知らずの若い男性がいる。すると、この珈琲ショップがタイタニック号のように沈没する幻想に囚われるのである。そうなると、わたしと隣の若いお兄さんはたぶん顔を合わせると思う。その時、見知らぬ彼とわたしはどんなやり取りをするのか?


都会の様々な場所でわたしと隣り合わせになった見知らぬ人々。その場所がもしもいきなりタイタニック号のように沈没を始めたら、わたしたちはどのようなやり取りをするか? そんな幻想を抱くわたしはちょっと頭のおかしなヤツだと思う。しかし、できれば、わたしは笑顔でその人に応えたいと思っている。こういう時にこそ、人間は人種や性別を超えた同士愛のような感情を抱くのではないかと思う。


✳「タイタニック」の沈没場面。(「youtube」より)