今朝、劇作家の唐十郎さんの訃報が届いた。84歳。体調がよくないことは風の噂で耳にしていたが、これでかつて一世を風靡した伝説的な演劇人がまた一人鬼籍に入ったということになる。いわゆるアンダーグラウンド小劇場演劇の旗手たちの中でも、後の演劇人に与えた影響力という意味では、その力が最も強かった人であるように思う。(残念ながらわたしは一度もお会いしたことがないが)


わたしが演劇活動を始めた頃、すなわち1980年代の初頭、唐十郎と状況劇場はすでに伝説の存在だった。何より「演劇は劇場で見るもの」という固定観念を覆し、野外にテントを張り、その空間で芝居をするという発想自体が驚きだった。わたしは状況劇場の芝居をいくつも見ているわけではないのだが、新宿の花園神社に作られたテントで状況劇場の芝居を見た時の記憶は、境内の土と役者たちの化粧の匂いとともに残っている。唐十郎の言葉でわたしが最も印象に残っている言葉は、以下の言葉である。


「まず、戯曲があるのではなく、演出プランがあるのでもなく、バリッと揃った役者体があるべきなのです」


これは「特権的肉体論」として有名な唐十郎の演劇観を語った一節だが、未だに論理を超えた説得力があり、状況劇場の役者たちはその言葉に実体を与えることができる人たちだったと思う。そして、「近代の超克」という難しいテーマを考える時、唐十郎が作り出す世界はわたしにたくさんの示唆を与えたと思う。赤い色のテント内で汗水飛ばして躍動する状況劇場の役者たちを目の当たりにすると、取り澄ました近代劇とそれを演じる俳優たちなど屁のつっぱりにもならないと感じたのだから。


若い頃のわたしに大きな驚きを与えたという意味では、この人は重要な先輩であるのだが、わたしにとって唐十郎は必ずしも身近な存在ではなかったし、その背中を追いかけることもなかった。喩えるなら、サラリーマンの家庭で育ったわたしの目の前に突然現れた土建屋の親戚のオジさんみたいな近寄り難さがあった。しかし、そのオジさんが作り出す世界は、わたしの演劇の原体験である幼少期に覗き見た祭の日の山車(だし)の楽屋の風景に重なる。そこは幼い子供を震撼させる原色に彩られた猥雑な空間だった。


いずれにせよ、この人が実践し、後輩たちに残した遺産は大きなものであり、この人がいなかったら現代演劇は空調設備の整った小綺麗なビルが中で小ぢんまりと演じられる芝居ばかりになったにちがいない。謹んでご冥福をお祈りする。


✳唐十郎氏。(「日本タレント名鑑」より)