テレビのバラエティ番組で二宮和也さんの姿を見かけた。二宮さんは「嵐」の人気タレントであり、俳優でもあるが、わたしはこの人を見るといつも「硫黄島からの手紙」(2006年)の撮影時のエピソードを思い出す。本作は、終戦間際の硫黄島で米軍と熾烈な戦いを繰り広げた日本兵を描いた戦争映画で、監督はクリント・イーストウッドである。


この映画の主人公は渡辺謙が扮する栗林忠道中将だが、二宮さんも新参の若い兵隊役で出演していた。この映画の撮影時、二宮さん(当時22歳)はクリント・イーストウッド監督(当時76歳)のことを「クリント爺さん」と呼んで周りの人間をハラハラさせたと伝えられる。そのエピソードを知った時、わたしは苦笑いしたが、二宮さんの気持ちもわからないではない。もちろん二宮さんの真意は本人に聞かないとわからないが、おそらく二宮さんはイーストウッドの業績を余りよく知らなったのではないかと思う。 だからイーストウッドにペコペコと頭を下げる周囲の人たちをよそに、そんな言い方をしたにちがいないと想像する。怖いもの知らずだったわけである。


この世で生きている人間の誰と会うと一番緊張するか? それは人によって様々だろうが、わたしにとってクリント・イーストウッドはそんな人の上位にいる人である。わたしは若い頃からこの人の映画に親しんできたし、すぐれた監督作がたくさんあることを知っている。簡単に言えば、とても尊敬しているわけである。そんな人を前にして「クリント爺さん」とはとても呼べない。おそらく独裁国家の元首を目の前にした国民のように緊張すると思う。


そのように考えると、尊敬とは知識のことであると思い至る。いや、その知識をベースにした幻想と言った方が正しいか。確かに老齢のイーストウッドを目の前にすれぱ、その姿は「爺さん」にちがいない。しかし、その人は「ダーティハリー」で主演し、「ミリオンダラー・ベイビー」や「グラン・トリノ」を監督した人なのである。そんなわたしの幻想がクリント・イーストウッドへの尊敬心を形成する。


このエピソードを通してわたしが学ぶのは、人を見かけで判断する恐ろしさである。街ですれ違うあの老人は、見た目とは裏腹にもの凄い業績を残した人かもしれないからである。ある人がある人を尊敬するのは、その人が残した業績を知り、それを知ることからすべて始まる。あれから18年、二宮さんも今ならイーストウッドを「クリント爺さん」と呼べなくなったのではないか?


✳「硫黄島からの手紙」の二宮さん。(「ザ・シネマ」より)