友人から教えてもらった「後味が悪すぎる49本の映画」(宮岡太郎著/彩図社)を読む。胸糞映画愛好家のわたしとしては胸躍る気持ちでさっそく購入し、あっという間に読み終えた。著者は三十代の映画監督である。未見の映画もたくさんあるが、わたしが真っ先に読んだ映画は以下の5本。すなわちこの5本の映画にわたしはとりわけ思い入れがあるということである。


●「ホテル・ムンバイ」

●「悪魔を見た」

●「縞模様のパジャマの少年」

●「隣人は静かに笑う」

●「ザ・バニシング―消失―」


「ハッピーエンドに感涙することが感動である一方で、バッドエンドに戦慄することもまた感動なのではないだろうか」


これは「まえがき」にあった一文だが、共感する一節である。バッドエンドの戦慄も感動の一種類にちがいなく、わたしはハッピーエンドの感動と同じくらいバッドエンドの感動を貪欲に求めている。真に豊かな心とは、ハッピーエンドの喜びだけでは獲得できない。その反対にあるバッドエンドの絶望とともにあってこそ、その心は光と闇の豊かさを持てるはずである。


著者は現役の映画監督でありながら、同業者の映画監督たちの手腕を素直にリスペクトしていて、ご本人の性格のよさが文章からにじみ出ているように感じる。本の最後を飾るのは「ファニーゲーム」(1997年)である。「胸糞映画史上のナンバー1」とキャプションがついて紹介される本作を著者は「つくづく、性格の悪いインテリなおっさんの悪意が爆発したような映画」と評するが、言い得て妙である。惜しむらくはそれぞれの映画に関する文章が短いこと。明快でユーモア溢れる著者の考察をもっとじっくりと読みたいと思う。


わたしがこういうバッドエンド映画を好んで見るようになったのはこの10年くらいのことである。つまり、ハッピーエンドを好んだ時代を経て、わたしはさらなる映画の魅力を「胸糞映画」に発見したということである。人間という不思議な生き物の心の一方の極を垣間見ることができるのが胸糞映画のよいところである。本書で紹介されている未見の胸糞映画をどんどん見てみようと思う。


*同書。(「Amazon.co.jp」より))