わたしがアメリカの映画界にアカデミー賞という賞があることを知ったのは1970年前後だったと思う。そして、「ベン・ハー」(1959年)というタイトルの史劇がそれまでの授賞式において最多の11部門を受賞していたことを知り、「すげえ!」と感嘆していた。その後、その記録は破られておらず、「タイタニック」(1997年)がタイで並んでいる。アカデミー賞以外にも映画祭はあるが、わたしはそれらに余り馴染みがない。


先日、日本アカデミー賞授賞式が行われ、その映画祭における受賞作、受賞者を伝える記事の中に日本アカデミー賞の公式サイトの「目的」の項目を引用した記事があった。 


《本会は、わが国の映画芸術、技術、科学の向上発展のために日本アカデミー賞を設け、その年度の該当者に栄誉を与えると共に、本会の行う諸事業を通じて、会員相互の親睦並びに海外映画人との交流を計り、もってわが国映画界の振興に寄与することを目的とする》 


日本以外の国々の映画祭を運営する人々も、基本的には似たり寄ったりの理念に基づきそれを開催していると思う。つまり、映画祭とは映画に関わる様々な人々が「映画産業を盛り上げよう!」という目的で行っているということである。そんな目的にケチをつける気はまったくないのだが、わたしが今一つ世界の映画祭に関心が薄いのは、そういう主催者たちの魂胆が透けて見えるからかもしれない。


その原因は、わたしが「結婚式」とか「祝賀会」とか「壮行会」とか「送別会」とか、そういう何かを作為的に「盛り上げよう!」という目的の人間の集まりをちょっと疎ましく感じる人間だからだと思う。我ながら偏屈だと思うが、わざわざ作為的に盛り上げなくてもよいではないかと思ったりするのである。それでも「○○映画祭グランプリ受賞!」と銘打たれれば、見たくなるのが人情である。日本に続いて開催されたアメリカの第96回アカデミー賞授賞式では、最優秀作品部門で「オッペンハイマー」が、最優秀長編アニメ部門で「君たちはどう生きるか」が、最優秀視覚効果部門で「ゴジラ-1・0」が受賞した。


*日本アカデミー賞授賞式。(「ナタリー」より)