某日、「名作映画から学ぶ裁判員制度」(坂和文章平著/河出書房新社)を読む。タイトルからわかるように様々な劇映画を法律的な視点で論じ、読者が裁判員に選ばれた時の心得を指南してくれる論評集。著者は弁護士でありながら映画評論家であるという異色の経歴を持つが、こういう人でないとなかなかこういう本は書けない。取り上げられる映画は必ずしも「法廷もの」だけではないが、弁護士の視点から内容を捉えているので、どの論評も興味深く読んだ。


ところで、二足のわらじを履く人が世の中にはたくさんいるが、本書の著者もそういう人である。著者の肩書きは「弁護士・映画評論家」である。ある意味でまったく別の仕事ではあるが、つまるところ人間がやることである。二つの仕事には共通する部分もたくさんあるにちがいない。著者の場合、どちらの仕事に重点がかかるのかはわからないが、常識的に考えて、弁護士が本業であり、映画評論家が副業になろうか。


ところで、わたしは昨年のある日のブログで「二足のわらじ」と題して文章を書いている。そこで、WBCにおいてサムライジャパンと対戦したチェコ共和国の野球選手たちは、みな野球専門のプロではなくそれぞれに仕事を持つ人たちであることに触れている。そして、「わたしがこういう人たちに興味が向くのは、彼らが二つの世界を行き来することにより、普通よりも何倍も豊かな精神生活を送るように思うからである」と結論している。


「二兎を追うものは一兎をも得ず」という諺(ことわざ)がある。これは二つのことを同時に求める持とそれぞれのことが中途半端になり、どちらも成果を上げることができないという意味である。確かにそういう場合もあるにちがいないが、二つの仕事を持つメリットも存在するとわたしは思う。本書の著者が映画などには一顧にだにしない法律一辺倒の弁護士なら、こういう論評を書くことはできないと思うからである。


ジョン・グリシャムやマイケル・クライトンの小説が面白いのは、この人たちがそれぞれ弁護士や医者という小説とは別の仕事を持っているからである。そうそう、漫画の神様・手塚治虫も医者だった。二兎を追うものは時に二兎を得ることもあるわけである。


*二匹のウサギ。(「123RF」より)