国内で開催されている「ミス日本コンテスト2024」でグランプリに輝いた女性(26)が、妻子ある医師(45)との不倫関係の発覚により自らグランプリを辞退することになったという記事を読んだ。女性は日本に帰化したウクライナ人であるという。そもそも「ミス日本」でなぜわざわざウクライナ人の女性を選ぶのか、その選考基準に疑問を持つが、わたしが注目したいのは美貌のウクライナ女性の方ではなく、彼女と不倫関係にあったという医師の方である。


記事において、この男性医師は「筋肉医師」として紹介されていた。当初、「筋肉医師」という名称が何を意味するのかわからず混乱したが、自らの身体を鍛え上げて筋骨隆々とした見た目を誇る医師のことであるらしい。この「筋肉医師」は長身のイケメンだが、本業以外では筋肉トレーニングに熱心なマッスル野郎だったわけである。わたしは「筋肉」と「医師」という組み合わせにちょっと驚いた。


ところで、「現代戯曲創作法」(ジョン・ヴァン・ドールテン著/早川書房)という本の中で、劇作家である著者は描くべき登場人物のキャラクターについて次のように言っている。


「あなたが典型的な実業家を主人公にしたいと思ったとしよう。(中略)実業家なるものの本来的な要素にこだわってはいけない。できるだけそういうものを避けて、実業家が持っていそうもない思想、関心、夢などを持たせるべきである」


わたしは深くうなずいた一節で、自著「I-note~演技と劇作の実践ノート」(論創社)の中でも引用しているのだが、「筋肉医師」の存在は、まさにそのような存在であるように感じたのである。わたしたちは、医師と言うと「眼鏡をかけたほっそりとした真面目な中年男性」という先入観を持つが、件の医師は「筋肉隆々としたマッチョな身体を持ち、ウクライナ美女と不倫する若々しい中年男」だったからである。


つかこうへい作品に「売春捜査官」というタイトルの芝居があるが、「筋肉医師」の存在は、まさにそのような意外な組み合わせによる存在である。それは「万引き家族」や「筆談ホステス」や「ドスコイ警備保障」などを連想させる。まったく違う二つの言葉の組み合わせ。「筋肉医師」の存在はわたしにとって世の中や人間の多様性や複雑さを知るよい例だった。


*筋肉。(「Esquire」より)