わたしの友人の離婚経験があるシングルマザーが、Facebookで新年のご挨拶をしている文章を見かけた。ここでその友人のあれこれを紹介するつもりはまったくないが、わたしはその女性の文章の中に「元旦那」という文字を見つけ、ハッとした。「え、もしかしたら元旦那とよりを戻した?」「元旦那と養育費をめぐってトラブルが?」「元旦那と初詣に行った?」と一気にいろんな妄想がわたしの頭の中を駆け巡る。しかし、よく見るとそれは「元旦那」ではなき「元旦」という文字だった。


わたしは自分の早とちりに苦笑したが、シングルマザーが使う「元旦」という文字は、時に「元旦那」に見間違え易いという事実をここに指摘する。もちろん、「元旦」は誰が使っても「元旦」に他ならないが、その人が離婚経験があるシングルマザーであるという前提で新年のご挨拶を読むと、「元旦」は「元旦那」に見える場合があるのである。この見間違いは、人間の先入観の恐ろしさをよく教えてくれる。


言い訳めくが、「元旦」という文字が単体で表記されていたらそんな間違いはしなかったと思う。挨拶文の最後に「令和6年 元旦」と書いてあれば、それを「元旦那」と見誤るわたしの精神がおかしいのであり、病院へ行く必要がある。しかし、そのシングルマザーの「元旦」は、末尾ではなくご挨拶の文章の中に出てきたのである。


《今年の元旦は故郷である○○で過ごしています。元旦から母が作ったお雑煮を娘と一緒に食べて幸せです》


このように書かれていると「元旦」が「元旦那」に見えても仕方ないのではないか? 何せ挨拶文を書いているのは離婚経験があるシングルマザーなのである。ゆえにわたしが「え、もしかしたら元旦那とよりを戻した?」「元旦那と養育費をめぐってトラブルが?」「元旦那と初詣に行った?」と誤解するのもむべなるかな。


ところで、「元旦」と「元旦那」が見た目によく似ていることを指摘したのは人類でわたしが初めてではないか? 「がんたん」と「もとだんな」と読み方はまったく違うし意味も違うが、見た目の紛らわしさは著しい。その事実に気づいたわたしを褒めてほしい。


*年始の挨拶。(「富士フィルム年賀状」より)