「この犯人を捕まえられなかったらわたしは何のために警官になったのかわからない」


昨日、世田谷区の公共施設で行われた朗読劇「午前0時のカレンダー」(作・演出はわたし)のアフタートークで、この朗読劇を企画した土田猛さんが集まった人々の前で絞り出すように言った言葉である。わたしもそのアフタートークに参加していたが、その無念の気持ちを察すると言葉を失う。土田さんは世田谷一家殺害事件が起きた区域を管轄する成城警察の元署長である。


犯人を捕まえることができない警察官を描いた映画と言ってわたしが思い出すのは以下の二本である。一つは「プレッジ」(2001年/ショーン・ペン監督)である。この映画では、幼い女の子を殺害した犯人を追跡する老刑事(ジャック・ニコルソン)が引退後も自力で犯人を追うが結局、犯人にはたどり着かず狂気に陥る様が描かれる。もう一つは「殺人の追憶」(2003年/ポン・ジュノ監督)である。こちらは韓国の田舎町で起こった連続婦女暴行殺人犯を追う刑事たち(ソン・ガンホら)が犯人に翻弄され同じような結末を迎える映画である。


どちらの映画も犯人は最終的には捕まらない。刑事たちは懸命に捜査活動を展開するが、犯人に翻弄されて失意のうちに結末を迎える。「午前0時のカレンダー」において扱った世田谷一家殺害事件がどういう結末を迎えるかは神のみぞ知るだが、現実の事件の捜査官が口にする冒頭の言葉はわたしには相当に重い。土田さんの人生も本件の犯人によって大きく狂わされたと感じるからである。


わたしは犯罪捜査におけるDNAの使用に関してまったく無知だったが、凶悪な殺人事件の犯人を特定する上でDNAを活用することに賛成である。警察権力によるDNAの濫用は困るが、世田谷事件のようなケースにおいて犯人のDNAを捜査に活用することにまったくの異論はない。朗読劇の中でも描いたが、早く使用をめぐるルールが法制化されることをわたしも望む。


わたしが普段やっている演劇公演とまったく違う環境での公演だったが、観客と舞台が娯楽性ではないところで強く共鳴し合うという意味において、本公演はわたしにとって貴重な体験だった。


*公演の模様。