続けて上演してみるまで気づかなかったのだが、拙作「獄窓の雪―帝銀事件―」と「好男子の行方―三億円事件―」には大きな共通点があった。ともに銀行員が主人公だが、事件の被害者である彼らの目撃証言が重要な役割を果たしている点である。前者は毒物を飲まされたがかろうじて一命をとりとめた銀行員たちを、後者は三億円を強奪された銀行員たちを主人公とする。彼らは警察当局から犯人の人相、特徴についての情報を厳しく問い質される。彼らは唯一無二の目撃証人なのである。


事件の目撃者という立場の人にわたしが興味を持つのは不思議と言えば不思議だが、確かに昔から目撃者を物語の真ん中に据えた映画は好きだった。その原点に当たるのはアルフレッド・ヒッチコック監督の「裏窓」(1954年)であるように思う。とある夏の夜、アパートの裏窓を望遠レンズのカメラで覗き見るカメラマンが対面にある部屋の一室で起こった殺人事件の目撃者になるという内容である。それ以外にも目撃者を主人公にした映画は枚挙に暇がなく、以下のような作品をすぐに思い出す。


●「窓」(1949年)

●「小さな目撃者」

●「見ざる聞かざる目撃者」

●「カナディアン・エクスプレス」

●「天使にラブソングを」

●「窓~ベッドルームの女」

●「刑事ジョン・ブック 目撃者」

●「目撃者」(韓国映画)

●「ブラインド」(韓国映画)

●「誰かに見られている」

●「ナイト・ウォッチャー」


これ以外にもたくさんあると思うが、わたしがこういう物語に強い興味を持つのは、以下のような理由である。自ら殺人事件を起こすことはめったにないが、殺人事件の目撃者になる可能性はそれよりずっと大きいように思う。また、殺人者は一般にやはり特別な事情を抱えたスペシャルな人間であると思うが、目撃者はごく普通の一般市民である。何の取り柄もない彼らは殺人事件の目撃者であるというだけで、一気に特権的な境遇に置かれるわけである。その戸惑いと昂揚感はいかばかりか。その境遇に非常にドラマチックなものを感じるのである。


わたしが自作の主人公として事件の目撃者に焦点を当てたのも、このような理由によるのかもしれないと思い至る。それさえ目撃しなければ、彼らは平々凡々たる普通の生活を送り、慎ましやかに生涯を終えた小市民なのである。そんな彼らは目撃を通して事件の真相解明の鍵を握る最重要人物としてクローズアップされる。


ところで、盲目を装うピアニストが殺人事件の目撃者となる「盲目の目撃者」というインド映画があることを最近知った。盲目ではなく盲目を装うというところにヒネリがあり、なかなか面白そうなので期待している。


*「裏窓」の一場面。(「映画チャンネル」より)