今年の頭、少年が回転寿司の醤油注しなどを舐める動画をSNSに投稿したことがきっかけとなり、回転寿司会社が多額の損害倍賞金を請求する事態に発展した事件があった。いわゆる「スシローペロペロ事件」である。この事件をネットで調べると「スシロー迷惑動画事件」と表記されていて、そのネーミングに大人の冷静さを感じる。


事件は大々的に報道されたから覚えている方も多いと思うが、わたしが知っているのは、回転寿司会社側が損害倍賞裁判を起こし、多額の倍賞金(6700万円)を少年側に要求したというところまでだった。しかし、この事件の民事裁判で、両者はすでに和解が成立していることを知った。おそらく少年側がいくばくかの倍賞金を回転寿司会社側に支払い、決着したと思われるが、わたしたちはこの事件といたずら少年に何を夢見たのだろうと考えた。


この事件に狂喜乱舞して騒いだ人たちが望む結末は、少年とその家族に途方もない金額の倍賞金が課せられて、家族が崩壊するというようなものではなかったか? 誰しもが実に些細ないたずらが、SNSによって拡大され、一つの家族を崩壊に至らせる恐ろしさを幻想したのではないか? かく言うわたしもその一人で、狂喜乱舞こそしなかったが、劇作家としてこの事件を扱うなら、そのようなドラマチックな結末を用意するように思う。そうでないと、「SNS社会の恐怖」は描けないからである。


少年に非がないとは思わない。まったく不適切な行為に及び、それを遊び半分に自らSNSに投稿して会社に迷惑をかけたことは断罪するに値する。しかし、鬼の首でも取ったようにその事実を断罪し、騒ぎ立てる人たちの心も相当に恐ろしく感じる。彼らはスケープゴートを見つけると、その人を徹底的に叩いて社会的に抹殺しようとするからである。


寿司ペロ少年はペナルティはきちんと受け入れるべきだと思うけれど、つまるところしょせん人間がやることである。「ついうっかり」ということだってあるのは仕方ない。だから他人の尻馬に乗り、いたずらに騒ぎ立てるのも決して体のいいものではあるまい。SNS社会の恐怖は、事を起こした側にではなく、むしろそれを断罪する側のリアクションにあるように思う。ともすれば顔の見えぬネット民に同調して、容赦ない攻撃を対象に向けそうになる自分を戒める。


*回転寿司。(「いらすとや 」より)