まだ正式には発表していないが、今年の11月にACTING SPACEとオフィスリコプロダクションと連携して「昭和大事件連続上演」と題し、二つの劇場で四本の拙作を連続上演する。


①「獄窓の雪―帝銀事件―」(高橋いさを演出)

②「夜明け前―吉展ちゃん誘拐事件―」(田島亮演出)

③「好男子の行方―三億円事件―」(田島亮演出)

④「あなたはわたしに死を与えた―トリカブト殺人事件―」(高橋いさを演出)*新作


①②③は錦糸町のすみだパークシアター倉、④は下北沢の小劇場B1で上演する。公演の詳細は追って告知するが、総勢27人の出演者による大きな企画である。現在、わたしはその準備に追われる日々を過ごしているが、その公演に先立ち、本日は、最近、わたしが取り組む「昭和事件シリーズ」についての雑感を書く。


若い人は知らない過去の大事件を再び取り上げ、それを再検証したり、劇化する際にしばしば目にする文言は「事件を風化させず、二度と過ちを繰り返さないため」というものである。その最たる題材は太平洋戦争であり、毎年、終戦記念日には日本各地で戦没者への追悼の式典が開催される。その通りだと思うし、異論はまったくないのだが、わたしが過去の事件を題材に芝居を作るのは、必ずしもそういう立派な理由ではない。


もちろん、結果として「事件を風化させず、二度と過ちを繰り返さないため」という教訓を滲み出すかもしれないが、創作に取りかかるわたしのモチベーションはそこにはない。では、わたしは過去の事件の何に刺激されて創作を始めるか? それは、よく知られた事件を新しい視点で描くことである。その視点を発見できた時、わたしの想像力は強く刺激されるのである。


例えば、忠臣蔵の元になった赤穂事件を大石蔵之助の視点で描いたものはたくさんある。それがわたしたちが知っている忠臣蔵である。しかし、それを別の視点で描くと、忠臣蔵もまったく違う印象をわたしたちに与えるにちがいない。宿敵・吉良上野介側から忠臣蔵を描く井上ひさしさんの「イヌの仇討」などはそのいい例だが、一つの事件も視点によってはまったく違う物語になる可能性を持っているのである。わたしが面白いと思うのはその点である。格好つけて言えば、そのような作業を通して、わたしたちが持つ共同幻想を破壊して、世界の多様性を描くことがわたしの狙いである。


誤解を恐れず言えば、わたしは過去のそういう悲惨な事件を通して社会的なエンターテイメントを作り出したいのである。事実を元にしながらフィクションの楽しさを持ち、フィクションでありながら現実に肉薄できるような内容を持つ芝居。そんな興味からわたしは「昭和事件シリーズ」を作っている。


*田島亮さんと。

*仮チラシ。