しばしば社会的な地位が高い男性が盗撮をした容疑で逮捕されることがある。盗撮と一口に言っても様々だが、大概の場合、駅や商業施設などの公的な場所の階段やエスカレーターなどにおいて若い女性のスカートの中を携帯電話やスマホを使って撮影するような場合が多いようである。


例えば、自宅やホテルのようなプライベートな密室において、相手の女性の同意の元、スカートの中を撮影しても盗撮とは呼ばないから、盗撮の盗撮たるゆえんは、公的な場所で相手の同意なく行われる場合を指すことがわかる。撮影機器の小型化と撮影技術の簡易さが盗撮へのハードルを低くしたのは否めない。今は、その気きさえなれば、誰でも盗撮が可能な環境にあると言える。


とは言え、普通の人は盗撮行為に及ぶようなことはめったにないと思う。かく言うわたしもそんな行為に及んだことはかつて一度もない。第一、犯罪のリスクを負った上、女性のスカートの中を撮影しようと思う人の情熱が理解できない。そんなにまでして女性のスカートの中を見たいものなのか?


「見たいのだ!」と盗撮犯は言うだろうか。たぶん言うのだろう。「お前は知らないのだ。見ず知らずの若い女が無防備に晒すスカートの中の魅惑の宇宙を!」と。まあ、そのように力説されれば、「はあ。そんなもんですかねえ」と苦笑せざるを得ないが、理解不能であることに変わりはない。その心理は、万引きを繰り返してしまう人のそれと似ているかもしれない。頭では犯罪と理解しながらも、衝動がそれを裏切り、行為に及んでしまうというような。


盗撮犯に社会的地位が高い人が多いのは、社会的な地位と比例して、彼らは社会的な抑圧も大きいからだと思う。抑圧とは心のブレーキのかけ具合である。そういう抑圧の反動として彼らは反社会的な行為に及ぶに至ると考えていいのではないか。そういう意味では、社会的な地位が低い人は普段から心のブレーキを緩めに運転しているので、性的な抑圧に関して柔軟であると思う。


ところで、先月の7月13日に「性的姿態撮影等処罰法」という新法が施行された。これは盗撮行為のみならず、撮影行為によって生まれた記録の提供、保管、配信、記録に関する行為も処罰対象とされる。こういう事実を知ると、法律とは生き物のようだと再認識する。少なくとも令和時代以前にこの法律は存在しなかったのだから。


*盗撮犯。(「いらすとや」より)