古本屋で見かけ、ふと興味を持って「安部公房とわたし」(講談社/山口果林著)を読む。タイトルが示すように長い間、安部公房と恋人関係にあった著者の自叙伝である。著者は安部公房スタジオ出身の女優さんである。


安部公房。ついぞ読む機会がなくなったが、大学生の頃、すなわち、今から40年くらい前、わたしは熱心にこの人の本を読んだ。わたしが大学(日大芸術学部)に入学した時、新入生歓迎公演として学内で上演された演目が安部公房作「友達」だったのを懐かしく思い出す。従来のオーソドックスな演劇の在り方に異を唱えたという点では、いわゆるアンダーグランド小劇場演劇の理念と一致する志向性を持っていたクリエイターだと思うが、不思議とこの人の名前を小劇場演劇の枠の中で見ることは少ない。


わたしの興味は氏の恋愛事情よりも作品の内容にあったから、当時、氏がどんな私生活を送っているかなどどうでもいいことであったが、それでも著者との不倫関係は若いわたしの耳にもそれとなく届いていた。いくら学生だったとは言え、本書の中にわたしが個人的に面識がある人の名前が何人か出てくるので、そういう環境がわたしに氏の私生活を知らせたのだと思う。


本書に依れば、著者と安部公房との関係は25年にも及ぶ。二人の年の差は23歳というのだから父娘のような年齢差である。本書を読みながら興味深く思うのは、著者と安部公房夫人との関係である。夫人は著名な舞台美術家だったが、本書を読む限り、著者との関係はほとんど敵対関係にあるように感じる。それはそれで仕方ないことだとも思うが、通俗から最も遠い作品を書きながら通俗の渦中にいた安部公房は、いったいどんな気持ちで女優との関係を続けたのだろうか?


安部公房は1993年に68歳で亡くなり、夫人もすでにこの世にないことを前提に、山口さんは自叙伝という形で本書を書いたのだと思うが、著者が付き合い続けた男が単なる一般人ではなく、ノーベル文学賞に手が届く稀代の異才だったところに、本書の面白さと価値はあると思う。


*同書。