間もなく幕を上げる「夜のカレンダー」は室内劇である。演劇が扱うシチュエーションは、場所が限定されていることが多いので、舞台となる場所が野外よりも室内の方が多い。「十二人の怒れる男」の舞台は陪審員室であり、「セイム・タイム、ネクスト・イヤー」の舞台は郊外にあるコテージであり、「探偵 スルース」の舞台は探偵小説家の家の一室であり、「熱海殺人事件」の舞台は警視庁捜査一課の取り調べ室である。


日本の家屋を舞台にした場合、外国の芝居と最も違うのは、日本の家屋では登場人物は靴を履かないという点である。もちろん、そこが日本の家屋であっても、靴を履いたまま室内へ入るタイプの家屋も存在するにはちがいないが、大概の場合は玄関で靴を脱ぎ、室内へ入るパターンが圧倒的に多いはずである。そして、日本人の登場人物は室内へ入る際にスリッパを履く。


日本の家屋において、いつ頃から日本人がスリッパを履く習慣を持つようになったのか知らないが、現在においても、普通の日本の家屋では、玄関口でスリッパを履くのが一般的ではないか。なぜそういうことになったかと言うと、室内でも靴を履いて過ごす西洋文化と、家屋内では靴を履かない日本文化が衝突し、その結果として「スリッパを履く」という折衷案で落ち着いたということではないか。だとすれば、こんなところにも「日本の近代の二重性」(河竹登志夫)が存在する。それをどうこう言うつもりもないのだか、演出家自ら芝居で使うスリッパを雑貨店などで探していると、ふとこんな言葉が脳裏をよぎる。


「芝居はF1レース。車庫入れを見に来る観客はいない」


これは故・つかこうへい氏の言葉だが、「芝居というものは、F1レースのように人間の生命がギリギリのところで燃焼する激しいものであり、観客はのんびりとクルマを車庫入れしてるヤツを見たいとは思わない」という意味である。「夜のカレンダー」をあえて"スリッパ芝居”呼ぶならば、そういう見た目の芝居は、人間の生き死にを描く時にちょっと間が抜けるように感じる。それは、「スリッパ」が、日本人にとっての生活の安定や安堵を表現しているからか。あるいは、スリッパを履いた足許は、どうしても緊張感に欠けるからか。


*スリッパ。(「nippon.com」より)

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『Crime4~ある視点編~』
2022年9月2日(金)~9月11日(日)
場所/サンモールスタジオ
ISAWO BOOKSTORE
「夜のカレンダー」
作・演出/高橋いさを

【チケット取扱い】