時々、自宅がある町の駅前にあるマッサージ店に行く。その店のママは中国人で、成人した娘二人と息子が一人いる。みな結婚していて子供もいるが、それぞれに離婚をしたり、別居中という状態で、ママの家族は一緒に暮らしているということである。そんな話を聞いて「大変ですね」と口にしたら、ママは「まあ、所詮は他人同士だからね」と言って苦笑いした。


そんな言葉を耳にして、改めて「そうだよな。夫婦というものは所詮は赤の他人なんだよなあ」と思った。そんな他人同士である男と女が恋という魔法にかかり、結婚して子供を作る。二人にとって子供は赤の他人ではなく、自らの血を分けた分身である。しかし、その子供を作った両親はお互いに生物学的にはまったく赤の他人であるわけである。だから、相手に不満があるなら、無理してずっと一緒にいるよりもスパッと別れてしまった方がよい場合も多くあるにちがいない。


そんなことを考えながら町を歩いていたら、わたしの前を歩いている若い女性がふいに立ち止まり、振り返った。すぐに若い男が彼女を追いかけてきて、二人は並んで歩き出した。すぐに女の手が男の腕に絡まる。二人はカップルなのだ。そんな町でよく見かける光景を見て、生物学的には他人同士でも、一人の異性と仲良く付き合い続ける男女は美しいものだなあと思った。


二人は確かに他人同士かもしれないが、それでも同じ目的地に向かって歩調を合わせて歩いている。その姿は、見ようによれば、二人の人生そのものにも見える。なぜなら、女は男を待たなくてもいいし、男も女を追いかけなくてもいいし、二人別々に違う道を歩いてもいいからである。そんな可能性を捨てて、二人は同じ道を並んで歩いている。なぜなら二人は生物学的には他人だが、お互い相手の心に歩み寄っているからである。その姿の美しさ。同じ道を行くならば、一人ではなく二人で歩いた方が楽しいに決まっている。


*道行くカップル。(「イコット」より)