わたしはしばしばこのブログで世間を騒がす犯罪事件を取り上げ、えらそうに論じていたりするが、あくまでもそれは対岸の火事であり、必ずしもそういう出来事がわたしのごく身近で起こっているわけではない。例えば、先日、最高裁は松戸ベトナム人女児殺害事件の被告人の上告を退け、被告人の無期懲役が確定したが、わたしは被害にあった女児やその家族と知り合いではないし、女児を手にかけた犯人と高校時代の同級生というわけでもない。だからこそ、わたしはこの場を借りて、犯罪評論家のような顔をして事件を語っているのである。


しかし、先日、間接的にではあるが、わたしにも関係がある事件の犯人が逮捕された。ネットでその記事を読んだ時はちょっとびっくりした。その事件の内容を詳しく書くことは控えるが、その事件はわいせつ事件である。わたしはそのわいせつ事件の被害者の女性を知っていて、彼女から直接、被害状況を聞いたことがあるのである。だから、わたしとはまったく関係ない事件を知る時と心持ちがずいぶんと違う。


わたしがもしも件の女性から被害状況を聞いていなかったら、この事件と犯人逮捕の報道はわたしにとってさしてセンセーショナルなことではなかったにちがいない。たぶん数あるわいせつ事件の一つとして記憶にも残らなかったと思う。犯人は誰かを殺害したわけではなく、被害女性にわいせつ行為を行っただけなのだから。しかし、その事件の被害者がわたしの身近にいたせいで、この事件はわたしにとって忘れることはできないものになった。


事件をテーマとして取り上げ、想像力の赴くままにそれを論じることをわたしはこれからもこの場を借りてやっていこうと思っているが、それができるのは、その事件がわたしとは基本的に無関係であり、わたしが客観的なポジションを保てる場合だと思う。今回のように少しでもわたしに関係がある事件の場合、つまり、事件との距離が近すぎる場合、わたしの事件に関する舌鋒は限りなく鈍くなるにちがいない。そもそも事件の概要を書くことさえ心理的にためらわれるのだから。


*痴漢。(「illust AC」より)