1997年に公開されて話題になった「CUBE/キューブ」という映画が、最近、日本でリメイクされたということを知った。なぜ今になって「CUBE/キューブ」が日本でリメイクされたのかその製作意図はわからないが、この映画が大好きなプロデューサーがいて、「是非リメイクしたい!」と長年考え続けた結果、それが実現したというだけのことかもしれない。


本作は、謎の立方体の中に閉じ込められた数人の男女が、そこから脱出しようとする不条理SF的な内容だったが、細部はまったく覚えていない。結末もわかったようなわからないようなものだったと思う。(最近、一見に及んだ「プラットフォーム」(2019年)という映画も本作と似たような趣向の不条理映画だった)しかし、唯一、鮮明に記憶に残っているのは、映画の冒頭に描かれる登場人物の脱出の失敗場面である。


立方体の中に閉じ込められた数人の中の一人が、脱出に失敗して、縦横に走る鋭いワイヤー線によって細切れに切断される。それは文字通り「細切れ」であり、人体が小さな立方体に分断されて崩れ落ちるのである。その場面だけ、わたしが鮮明に記憶しているのは、その場面の視覚的なインパクトが相当に強かったからだと思う。「まるで茹で卵カッターだ!」と。後に「バイオハザード」(2002年)という映画の中にもちょっと似たような場面(こちらはレーザービーム)があるが、わたしにとって「人体細切れ」の初体験は本作である。


SF映画「エイリアン」(1979年)は、ホラー映画として後世に語り継ぐべき傑作だと思うが、「エイリアン」と言われて真っ先に思い出すのは、H・R・ギーガーの手による怪物の造形よりも前に、乗組員ケインの顔に張り付いた蟹のような触手を持つエイリアンではないか。あるいは、彼の腹を食い破って出現するタツノオトシゴのような成長前のエイリアンの場面ではないか。これらの場面は、言葉では説明しようがなく、絵で見せられて初めて断固とした説得力がある。


わたしは映画のストーリーや台詞も重視する方だと思うが、人間の記憶に直接刻まれるのは、言葉ではなく視覚的なものだと思う。そして、やはり最も映画的なものは言葉ではなく絵(行動)であると再認識する。


「CUBE」の一場面。(「好きなモノに囲まれて」より)