誰が命名したのか知らないが、結末が悲惨で、見終わった後味が悪い映画のことを「胸糞映画」と呼ぶらしい。ずいぶんと品がない言い方だが、本質は突いていると思う。どういう映画をそう呼ぶかは人によって違うだろうが、次のような映画はそう呼ばれておかしくないものであろう。

●「セブン 」
●「ミスト 」
●「時計じかけのオレンジ」 
●「ミリオンダラー・ベイビー 」
●「冷たい熱帯魚」
●「縞模様のパジャマの少年」
●「ファニーゲーム」

これらの映画は、確かに結末が悲惨で、見終わった後に黙りこくるしかないような後味を残す。その後味は、例えば「雨に唄えば」を見た後に残る気持ちと正反対の種類のものである。映画作品を料理に例えるなら、これらの映画はみな強烈な苦味が効いていて舌をザラつかせ、気分を落ち込ませるのである。しかし、だからと言ってこれらの「胸糞映画」がつまらない作品かと言うとそんなことは全然なく、むしろ傑作と呼びたい作品ばかりである。これはいったいどういうわけなのだろうか?

これらの映画の作り手たちも当然、映画鑑賞後の後味については考えていたと思う。しかし、彼らは安直なハッピーエンドを嫌い、決してハッピーエンドではない結末を確信犯的に用意したのだと思う。特に興行の結果を重要視する映画のプロデューサーは、悲惨な結末について強く反対したかもしれない。

「いいか、映画は芸術である前に娯楽なんだ。嗜好品なんだ。なのにお客様に不快な思いをさせてどうするんだ!」

これはこれで説得力ある言葉であり、映画の芸術的な側面を担う監督は苦悩したかもしれない。しかし、それでも監督はバッドエンドを選んだわけである。結果から見れば、監督の判断が正しかったことを上記の映画群は証明しているように思う。つまり、映画を見た観客に不快な思いをさせるのも、映画芸術の多様性の一つであるとわたしは考える。観客を楽しい気分にさせるだけが映画ではない。人間の味覚は、甘さや柔らかさだけではなく、辛さや激しさも求めるのである。

*「ミスト」の一場面。(「ciatr」より)