DVDで「オデッサ・ファイル」(1974年)を見る。フレデリック・フォーサイス原作のポリティカル・フィクション映画。初見。

1963年のドイツ。フリーの記者ピーターは、自殺したユダヤ人の老人が残した日記を手に入れる。その日記にはナチスドイツの親衛隊の残党であるロシュマンが生存していることが明記されていた。ロシュマンの行方を探し求め、ピーターはユダヤ人過激派のグループと協力し合い、元ナチスの親衛隊の一員に化け、関係者との接触を試みる。そして、ピーターは自動車会社の社長として生きるロシュマンの居どころを突き止める。

同じフレデリック・フォーサイス原作の「ジャッカルの日」(1973年)に痺れたわたしが、なぜこの映画を見逃したのか、ちょっと不思議ではあるのだが、ようやく一見に及ぶ。監督は意外にもロナルド・ニーム。「ポセイドン・アドベンチャー」の監督である。主演は若き日のジョン・ヴォイド。政治的・社会的な背景を持つ物語をエンターテイメント性豊かに描くいかにもフォーサイスらしい一編だと思うが、「ジャッカルの日」が持っていた異様な迫力には及ばず普通の出来だと思う。

先日見て面白かった「コリーニ事件」もそうだが、ナチスドイツの残党をめぐるストーリーは面白い。かつてナチスドイツが行った残虐な行いを現代の視点で描く試みは、否応なしに復讐や贖罪というテーマを滲み出すからである。今の視点で考えるとアドルフ・ヒトラーがやったことは、ほとんど狂気の沙汰としか思えないが、ナチスドイツが行った蛮行は、人類にとって最大級の負の遺産であると同時にドラマを作る上では得難い題材であると思う。

ナチスドイツの罪が世界的に見て類がないのは、本来的に個人の間で行われていた殺人行為を国家的な規模で行った点であると思う。もちろん、戦争をした日本も例外ではないが、国家間による戦争とはまったく違う目的でユダヤ人の殲滅は計画され実行されたわけだから、これは戦争ではなく犯罪行為と言えると思う。歴史的事実としては合計600万人余りのユダヤ人が非道な形で殺戮されたというが、600万人の殺人は600万通りの遺族のドラマを生むことができるわけだから、その規模の大きさに呆然とせざるを得ない。

*同作。(「Amazon·co·jp」より)