前にも似たような話題を取り上げたことがあるが、昭和の時代は電話帳なるものが存在し、それを使って他人の住所と電話番号を知ることができた。(「ターミネーター」の未来からやって来た殺人機械がターゲットのサラ・コナーの住所を特定するのは電話帳を使ってである)また、驚くべきことに、そこには世に有名な芸能人たちの住所も書かれていたという。ファンたちは電話帳で知った彼らの元に電話をかけたり、ファンレターを送っていたりして交流していたのである。

なぜそんなことが可能だったのか?  それは人々の心がまだ今よりもずっと純朴だったからにちがいない。他人の電話番号や住所=個人情報を悪用して、詐欺や脅迫、いたずらをする輩が珍しい存在だった時代。電話帳を利用した悪事もあるにはあったが、そんなことをするヤツはごく稀だった時代。だから、人々は自分の個人情報を公開することに何の疑問も持たなかったのだ。いや、むしろ、電話帳に自らの個人情報が記載されているということは、その人が立派な市民であることの証明だったのである。つまり、電話帳への個人情報の記載は、堂々とした社会人の態度だったということである。

そんな個人情報の公開が疑問視されるようになったのは平成時代になってからである。個人情報保護法ができたのが2003年(平成15年)である。これはこれで理に敵った法律であるとは言え、上記の文脈で言えば、人々の心が次第に不純なものに変質して、他人を信じられなくなったということである。他人とはまず何より自分の平安を脅かす“敵”であるという認識が強まったのだから。人々はその防御のために自らの個人情報を秘匿することを当然の権利と考えるようになった。それが悪いと言うつもりもない。しかし、ただ電話帳なるものが普通に存在した時代が、また、それを当たり前とした人間たちの純朴な心が懐かしいだけである。

※「ターミネーター」の電話帳。(出典不明)