今日は阿部定とエド・ゲインについての私見を述べる。ずいぶん奇妙な組み合わせだが、まずこの二人について解説する。

●阿部定 (1905~没年不明)
昭和初期の娼妓。東京の下町の宿で愛人だった石田吉蔵を扼殺し、局部を切り取り逃亡。後に逮捕されて懲役刑に服す。

●エド・ゲイン (1906~1984)
アメリカの農夫。1950年代、地元の田舎町で墓地から女性の遺体を掘り起こし、その遺体を使って調度品などを製作した。

ほとんど同世代の両者の共通点は、まず犯行の猟奇性である。片や愛人を扼殺して男性器を切断している点、片や墓から女性の死体を掘り起こし、その死体を使って調度品を製作している点。しかし、猟奇性ということだけなら他にもたくさんそういう特徴を持つ事件の犯人はいる。わたしがあえてこの二人を一緒に語りたいのは、この二人が劇映画に大きな影響を与えた点である。阿部定をモチーフとした映画は以下のようなものがある。

○「実録・阿部定」
○「愛のコリーダ」
○「失楽園」
○「SADA~戯作・阿部定の生涯」
○「JOUNEN  定の愛」

エド・ゲインをモチーフにした映画は以下のようなものがある。

○「悪魔のいけにえ」
○「サイコ」
○「羊たちの沈黙」
○「ヒッチコック」

つまり、二人は劇映画の題材になることが非常に多い犯罪者だと言える。違う言い方をすれば、二人は映画製作者たちに大きなインスパイア(ひらめき)を与えた人たちである。人々に称賛される偉業を成し遂げた人ではなく、逆に人々が恐れおののくような猟奇的な犯罪を犯した二人が、そのように映画から愛される点に映画というメディアの本質の一端が表れているように思う。つまり、映画は天使に奉仕するメディアでもあるが、同時に悪魔にも奉仕するメディアなのである。

※阿部定。(「Wikipedia」より)