ある日の午後、恵比寿駅近くの道を歩いていたら、若い女性の三人組とすれ違った。みなスラリとしたきれいな女の子たちである。すれ違い様にその中の一人の声がわたしの耳にふいに届いた。

「まじやべえ目いてえ」

これは、たぶん「目が痛くて本当に参った」という意味である。わたしはその言葉を聞いてガッカリした。上記の言葉はわたしの耳に不快である。そして、見た目はよいのに、こんな言葉を使う女子は哀れだと思った。お近づきなりたくないなあと思った。件の女子はメーキャップやファッションには熱心だが、女の美しさを決定づけるのが、その人の言葉使いだということを知らないのだろう。

いや、必ずしもわたしは若者に美しい日本語を使うことを説くつもりはない。気楽な仲間内でのやり取りは流行りの言葉を使って楽しくやればいいと思う。しかし、それにしても若い女子に公道で「まじやべえ目いてえ」というような言葉を使ってほしくない。それは公共の場に捨てられた生ゴミのように見苦しい。それはちょっとした害悪なのだ。件の女子は言葉の怖さに気づいていない。なぜなら、その人が使う言葉こそ、その人の内面を最も雄弁に語るとわたしは思うからである。「まじやべえ目いてえ」という言葉を使う女は、「まじやべえ目いてえ」という言葉と同質の内面を持つ。それは見苦しく粗雑な内面である。

女っぷりを上げるには、外見ではなく内面を磨けとはよく言われるが、ホントそうだと思う。内面を磨くとは、簡単に言えば、美しい言葉を使うということである。美しい言葉を使えない美女などまがい物である。真の美女とは、美しい言葉を使える人のことである。その言葉の豊かさ=内面の豊かさが彼女の外面に直結しているのだから。

※美女。(「img」より)

本日は大型台風が関東、東海地方を直撃とのこと。皆さん、お気をつけて。