最近、世を騒がせた犯罪現場に何度か足を運ぶ機会があった。きっかけは、昨年、「三億円事件」を題材にした芝居を上演する際にかの地を訪ねたことである。足を運んだのは「帝銀事件」が起こった豊島区長崎にある銀行跡地、「東電OL殺人事件」が起こった渋谷区円山町のアパートである。そういう場所に足を運ぶ度に、事件現場は「特権的な場所」であると感じる。

これらの場所は、その事件さえ起こらなければとるに足らない平凡な場所に過ぎない。例えば、府中刑務所脇の学園通りも「三億円事件」がなければ人通りの少ないただの道路に過ぎないし、西武池袋線椎名町駅付近の元帝国銀行跡に建つマンションも「帝銀事件」がなければただのありふれたマンションに過ぎないし、渋谷区円山町にある古びたアパートも、「東電OL殺人事件」がなければただの古びたアパートに過ぎない。にもかかわらずそれらの場所がわたしの目に特権的に映るのは、その場所でそれらの事件が発生したスペシャルな場所であるからに他ならない。

本来、あってはならないことが起こった忌まわしい場所ではあるが、これらの場所は、わたしの想像力を強く刺激する。そこを訪れることによって、報道や書物を通して思い描いた事件を頭の中で再現することを半ば強いられるからである。また、かの地を訪れる行為は、一種のタイム・トラベルとも言える。かつて劇作家の別役実さんは「犯罪現場は訪れる者の"歌ごごろ"を刺激する」と言ったが、けだしその通り。ガイドはいないものの、わたしにとってこういう犯罪現場は立派な観光名所である。(「Vivace」2019年2月号)

※東電OL殺害事件のアパート。(「知の冒険」より)

最近の事件や事故で言えば、川崎の無差別殺傷事件現場や京都アニメーションの放火殺人現場なども、この例に相当するが、遠い昔の事件と違って、これらの事件や事故は生々し過ぎて、とても「観光名所」などと嘯(うそぶ)いてはいられない。