1988年12月25日、有馬記念。
『芦毛の怪物』2頭、タマモクロス5歳(現表記4歳)、オグリキャップ4歳(現表記3歳)。
3度目、そして、最後の対決となった有馬記念だった。
1984年生まれのタマモクロス。父シービークロスは芦毛の追い込み馬として知られ、重賞3勝。『八大競走』では天皇賞春3着が最高だったが、その追い込む姿から『白い稲妻』といわれた。
母グリーンシャトーは条件戦で6勝を上げたが、重賞に出走することはなかった。
北海道新冠町・錦野牧場で生まれたタマモクロス。牧場主である錦野昌章氏は高く評価していたタマモクロスだったが、世間の評価は低く500万円という安値だった。牧場経営は逼迫しており、その価格で売らざるを得なかった牧場。
栗東・小原伊佐美厩舎に入厩したタマモクロスだったが、デビューした1987年に錦野牧場は倒産。母グリーンシャトーは人手に渡り、牧場を転々とする中、7月30日に死亡。タマモクロスは故郷も母も失った。
1987年3月、競走馬デビューしたタマモクロス。新馬戦を芝で勝ち馬から1.8秒も離された7着。以降ダート中心に使われ、4着,1着,競走中止(芝),6着,2着,3着,3着。クラシックとは無縁な存在だった。
10月18日、400万下・芝2200m。久々の芝レース。タマモクロスの中で何かが変わったのか? 好位から抜け出し2着馬に7馬身差の勝利。
11月1日、藤森特別(400万下)・芝2000m。8馬身差の勝利。
12月6日、鳴尾記念(G2)・芝2500m。初重賞で後方一気、逃げるメイショウエイカンをとらえ6馬身ぶっちぎった。
衝撃の様変わり。故郷失くし、母を亡くし、変貌した『芦毛の怪物』。
1988年は京都金杯1着、阪神大賞典1着同着、天皇賞春1着、宝塚記念1着。
秋、10月30日。天皇賞秋で1歳下のオグリキャップと世紀の『芦毛の怪物』対決の初戦を迎えることとなった。
一方の『芦毛の怪物』オグリキャップ。
父ダンシングキャップ、母ホワイトナルビー。
母が走った地方・笠松競馬場でデビュー。12戦10勝、2着2回。
4歳、『下剋上』の思いを胸に中央競馬界に移籍。栗東・瀬戸口勉厩舎に転厩。
ペガサスS、毎日杯、京都4歳特別、ニュージーランドトロフィー4歳S、高松宮杯、毎日王冠、中央重賞6連勝。クラシック登録(追加登録が認められたのは1992年)のなかったオグリキャップは重賞を勝ちまくり、その強さを見せつけた。
そして、10月30日。天皇賞秋、初めてのG1出走でタマモクロスとの初対決となったのだ。
天皇賞秋、逃げるレジェンドテイオーの2番手をタマモクロスが追走。中団後方から差し込んだオグリキャップだったが、1歳上のタマモクロスが1馬身4分の1差で貫禄勝ち。
2度目の対決となったジャパンカップ。今後は好位から中団待機策を取ったオグリキャップ。後方待機から外国馬ペイザバトラーとともに捲ったタマモクロス。
外国馬ペイザバトラーに勝利を奪われ、半馬身差の2着となったのがタマモクロス。オグリキャップは、またも1馬身4分の1離された3着だった。
対タマモクロス、2戦2敗となったオグリキャップ。負け続けるワケにはいかない。
3度目の対決。
タマモクロスとて、負けるワケにはいかない。ただ、全力で突っ走ってきたタマモクロス。
追い切り状態から囁かれたのは調子下降ぎみ。
それでも古馬の意地。同じ『芦毛の怪物』としてオグリキャップには負けられない。
『芦毛の頂上対決』は許さない。激突は望むところ・・・・・・挑む馬たちも豪華メンバーが揃った。
1番人気タマモクロス単勝2.4倍、2番人気オグリキャップ3.7倍、3番人気サッカーボーイ4.8倍。
人気ではタマモクロス、オグリキャップとともに『3強』を形成していたのはサッカーボーイだった。
3歳(現表記2歳)時は4戦3勝。勝った3勝は9馬身、10馬身、8馬身差。とくにG1の阪神3歳Sをレコード駆け、8馬身圧勝は度胆を抜いた。
だが、強靭すぎる脚力のため裂蹄で悩み実力を発揮できず、ダービーは1番人気で15着に終わった。
中日スポーツ賞4歳S1着で復活。函館記念ではメリーナイス、シリウスシンボリ、2頭のダービー馬を相手に5馬身差、当時の日本レコードで駆け抜けた。
秋に入りマイルチャンピオンシップを4馬身差の圧勝。ハマった時の破壊力は群を抜いていた。
復活した『スーパースター』。
菊花賞を5馬身差、圧勝したばかりのスーパークリーク。
父ノーアテンション、母父インターメゾ。典型的な長距離血統。
菊花賞出走賞金順位19番目、武豊が他の騎乗馬を捨て、回避馬の出るのを待った馬。
遅れてきた『スーパースター』がタマモクロス、オグリキャップ、サッカーボーイ、『3強』の壁に挑む。
菊花賞馬、前年の有馬記念を勝ったメジロデュレン。
天皇賞秋3着の逃げ馬レジェンドテイオー。
皐月賞2着、安田記念を制覇した6歳フレッシュボイス。
機あらば、虎視眈々と『てっぺん』を狙う。
翌年1月7日、昭和天皇の崩御により昭和の時代は終わり、『昭和最後のG1レース』となった有馬記念。また、タマモクロス、サッカーボーイにも最後のレースとなり、タマモクロス、オグリキャップ、サッカーボーイ、スーパークリークが唯一同時出走した『昭和最後の名勝負』ともなった。
ゲートが開くや出遅れたのはサッカーボーイ。
レジェンドテイオーが予想通りの逃げ。
ハワイアンコーラル、スズパレードが続き、有力馬のなかではオグリキャップが一番前の6番手外を行った。
スーパークリークがその後ろ。
メジロデュレン、フレッシュボイスが続く。
最後方に並ぶのが、出遅れたサッカーボーイとタマモクロスだった。
どこから動くのか? タマモクロス!
先頭から最後方まで12馬身ひと固まり。
淡々と進むレース。
静かな、静かな火花が散った。
3コーナーを過ぎ4コーナーへ。
大外に持ち出ちだし、進出を開始したのはタマモクロスだ!
ついて上がるサッカーボーイ!
中団で待ち受けていたオグリキャップも、動いた!
先頭から最後方まで、さらに凝縮した一団。
直線、外から先頭に躍り出たオグリキャップ!
襲いかかろうとするタマモクロス!
大外、懸命に迫ろうとするサッカーボーイ!
オグリキャップ!タマモクロス!
やはり、『芦毛頂上対決』か!
わずかに突き放そうとするオグリキャップ!
懸命に離されまいとするタマモクロス!
内、馬群を割って伸びてきたのは、スーパークリークだ!
一気に差を詰めたッ。
オグリキャップ、半馬身、タマモクロス、半馬身、スーパークリーク。
3頭が同間隔でゴールへ飛び込んだ!
1馬身半、差を開けられたサッカーボーイ。激突の波に、砕け散ったか!
ついに、オグリキャップがタマモクロスを制した。
いま勝たなかったなら、2度と勝つ機会を失うこととなった頂上決戦。
3着入線したスーパークリークはメジロデュレンの進路を妨害したとして失格。
サッカーボーイが繰り上がり3着となった。
タマモクロス、サッカーボーイは有馬記念を最後に引退、種牡馬となった。
北海道静内町アロースタッドで繋養されたタマモクロスは、G1馬こそ輩出できなかったが、カネツクロス、ダンツシリウス、マイソールサウンドなど重賞勝ち馬9頭を出し、母父としてもヤマニンアラバスタ、ヒットザターゲットを出している。
漫画『みどりのマキバオー』の主人公のモデルとされている。
マイルから2000mで豪脚を見せたサッカーボーイだったが、産駒では長距離で力を発揮した馬が多く、ナリタトップロード、ヒシミラクル、2頭の菊花賞馬を出し、天皇賞春3着はじめ4年連続出走したアイポッパー(ステイヤーズS、阪神大賞典)も出した。牝馬では秋華賞を勝ったティコティコタック。重賞勝ち馬は17頭に上る。
スーパークリークは1989年、オグリキャップ、イナリワンとともに『平成3強』を形成。
1989年以降、7戦5勝、2着1回。天皇賞秋、天皇賞春を制覇。
種牡馬となったが、長距離血統が現代競馬にはネックとなり繁殖牝馬にも恵まれず、重賞勝ち馬を輩出することもできず、2003年以降はほとんど種付けゼロの状態となった。
2010年8月、老衰により死去、25歳だった。
オグリキャップはかつてのハイセイコーを上回る『国民的アイドルホース』となり、マイルチャンピオンシップ、安田記念、そして、ラストランとなった有馬記念を制覇し、G1・4勝。
優駿スタリオンステーションで種牡馬となり、オグリワン、アラマサキャップが重賞2着したが、ついに重賞勝ち馬は出せなかった。
2010年7月、スーパークリークよりわずかに早く、右後肢脛骨骨折によって安楽死処分。25歳。
競走馬当時の人気は種牡馬になっても途絶えることなく、繋養先の優駿スタリオンステーションにはファンが訪れ続けたという。
オグリキャップの追悼行事は笠松競馬場、JRA、優駿スタリオンステーションで行われ、献花台にはファンの花で埋め尽くされたという。
最後まで愛された『スーパーアイドルホース』だった。
逆境を撥ね退けて頂点に上り詰めた『芦毛の怪物』2頭。タマモクロス、オグリキャップ。
『芦毛の頂上対決』許さじと、全力で挑んだサッカーボーイ、スーパークリーク。
時を超えても色褪せぬ激突が、ここにあった。
忘れ得ぬ、第33回有馬記念。