1972年7月9日、第39回東京優駿(日本ダービー)。

 

 

前年暮れから関東で大流行した馬インフルエンザ。その影響もあって関東地区の中央競馬は長期中止もあり、クラシック日程も大幅に変更された。

 

皐月賞は5月28日、ダービーは『七夕ダービー』といわれ7月9日の開催となった。

 

 

ダービー・フルゲート28頭、圧倒的支持を得たのがロングエース、ランドプリンス、タイテエムの『3強』だ。

 

『3強』と呼ばれるにふさわしい実力と人気を兼ね備えた名馬たちの激突は数ある。何が起こるかわからない競馬の世界。そのまま実力通りの決着を迎えるのは、数少ない。

 

『3強』の一角を崩す・・・・・・集結した他25頭の精鋭。関東から皐月賞2着馬イシノヒカル、父ヒンドスタンの良血ハクホウショウ、シンザンの仔スガノホマレ・・・・・・。関西からは『3強』に追いつけ追い越せとばかりにランドジャガー、ユーモンド、アーチデューク・・・・・・。

 

捨て身の逃走劇を図るものあり、虎視眈々とマークするものあり、一気の末脚に懸けるものあり・・・・・・いかに戦うか?『3強』。

 

 

 

3歳(現表記)時、クラシック最有力と謳われたのは名牝シラオキが祖母というヒデハヤテだった。

 

新馬戦を7馬身差で圧勝、なでしこ賞を不良馬場で5着に敗れたあと銀杏特別勝利。関西の№1決定戦・阪神3歳Sでは2着シンモエダケに8馬身差のレコード勝ち。圧倒的なスピードの差を見せつけた。

 

4歳になってもきさらぎ賞、京成杯を連勝、まさに『無敵』といわれたヒデハヤテを、皐月賞トライアル・スプリングSで破ったのがタイテエムだった。

 

タイテエム。父セントクレスピン、母テーシルダという超良血の持込み馬(母が妊娠状態で輸入され日本で生まれた仔)。

 

新馬戦は1番人気であったがヒデハヤテの8着と惨敗。その後、1,3,1,1着と実力を発揮し始め、スプリングSでヒデハヤテにリベンジを果たし、一躍クラシックのヒーロー候補に名乗りを上げた。

 

敗れたヒデハヤテは脚部不安を発症。その後、2年の休養を余儀なくされ復帰戦2着の1戦のみで引退した。

 

 

4歳(現表記3歳)、1月29日という年明けデビューながら5戦5勝、2馬身半、3馬身、2馬身半、2馬身、2馬身、安定した実力差で勝ち進み皐月賞トライアル・弥生賞を制したロングエース。

 

1歳上の半兄ロングワンは新馬戦3着のあと6連勝した逸材。父が短距離系サウンドトラックのためクラシックには出走しなかったが、父ハードリドンに変わりクラシックへの期待は絶大だった。

 

 

良血タイテエム、ロングエースとの血統的比較では素質落ちと言わざるを得なかったランドプリンス。母ニュウパワーはサラ系の烙印を押された馬。その母系の祖にはオーストラリアから渡ってきたミラがいる。血統書を紛失していたことからサラブレッドとは認められず『サラ系』(サラブレッドらしき血統)と判断された。前年、皐月賞・ダービー『2冠馬』ヒカルイマイも同じサラ系。

 

イギリスから輸入されたテスコボーイの初年度産駒。一時代を築くこととなるテスコボーイの血が、いかにサラ系ニュウパワーの血を覚醒させる、か。

 

3歳時は新馬戦こそ勝つも6,3,2,3,4着、6戦1勝。4歳になってから1,1,1,1,2,2,2着。デビューから13戦、走りに走りまくって強くなった野武士ランドプリンス。

 

 

皐月賞では1番人気ロングエース、2番人気タイテエムの『2強』人気。離れた3番人気がランドプリンスだった。

 

レースではロングエース、タイテエムが先行2頭を追いかけすぎ、ランドプリンスが内から抜け出し皐月賞制覇。ロングエース3着、タイテエム7着と沈んだ。

 

 

晴れて『3強』入りとなりダービーに挑む『野武士』ランドプリンス。

 

皐月賞の雪辱を期す、まさに『エース』ロングエース、『貴公子』タイテエム。

 

三者三様の道のりを歩み、『3強』としてたどり着いた日本ダービー。

 

 

 

フルゲート28頭、ファインダイヤが出走を取消し27頭となった。

 

ゲートが開き一斉に飛び出す27頭が第1コーナーに殺到する。壮観な中に繰り広げられる馬たちの激突。

 

かつて、『運の強い馬が勝つダービー』といわれた所以だ。

 

 

激しい先行争いから2コーナーを回って先頭に立ったのはシンザンの仔スガノホマレだ。

 

5,6番手内につけたのは6番枠ロングエース、鞍上は『ターフの魔術師』武邦彦(武豊の父)。まだダービー制覇はない。

 

中団外に22番枠タイテエム、鞍上は4年目、須貝四郎。

 

その後ろに付けたのが20番枠ランドプリンス、鞍上は7年目、川端義雄。

 

 

向こう正面すぎから外の馬が先団へ殺到。

 

3コーナーでスガノホマレは呑み込まれた。

 

 

4頭が横一列の先頭争いで馬群の流れは4コーナーへ。

 

28番大外枠、ピンク帽のユーモンドが、わずかに前に立つ。

 

その内に並ぶのが、タイテエムだ!

 

 

やはり押さえが効かないか!

 

レースを引っ張り、直線に向くや先頭に立った!

 

 

最後まで、行くしかないッ。懸命に押す鞍上・須貝四郎。

 

 

外から迫ってくるのは、ランドプリンスだ!

 

冷静にタイテエムをマーク。直線に勝負を懸けた!

 

 

内から馬群を割って伸びてきたのは、ロングエースだ!

 

3コーナー、外から殺到する馬の流れに内で我慢。

 

 

位置取りは下げながらも、脚を溜めたロングエース。

 

 

デビュー16年、武邦彦。関西の名手といわれながら勝ち鞍の無かった『八大競走』。4月、アチーブスターで桜花賞を獲り、ダービーを獲るチャンス。ロングエースとの出会いからもらったチャンス。

 

逃すわけには、いかないッ!

 

 

焦らず、内が空くのを待った。

 

 

直線の坂を駆け上がり、最後の勝負。

 

 

ロングエース、タイテエム、ランドエース、横一線に並んだ『3強』。

 

あと200m、果てしない叩き合いは続いた。

 

 

懸命に叩き、押す武邦彦、須貝四郎、川端義雄、めざすは栄光の、ダービー・ゴール!

 

 

外のタイテエムへ馬体を合わせ、500㌔を超える雄大な馬体で圧をかけるロングエース・武邦彦。

 

外からタイテエムに馬体を接し、ランドプリンスの闘争本能に火をつける川端義雄。

 

 

真ん中で挟まれ、躊躇したタイテエム!

 

 

そのわずかな瞬間に、

 

渾身の力でグイッと出たロングエース!

 

 

ランドプリンスも、わずかに及ばなかった!

 

そこがゴールだった。

 

 

ロングエース、クビ差、ランドプリンス、アタマ差、タイテエム。

 

決着がついた死闘。

 

 

ただ、ただ、大観衆は『3強』の戦いに酔いしれた。

 

 

劈く大歓声は、ロングエースにも、ランドプリンスにもタイテエムにも・・・・・・等しく上げられた。

 

 

 

その後、種牡馬となった3頭。

 

まだまだ、『世界に追いつけ』の時代だった日本の競馬界。輸入種牡馬が全盛、内国産種牡馬は不遇の時代といわれ、質の高い繁殖牝馬には恵まれない実情にあった。

 

ランドプリンスには『サラ系』という謂れのない烙印もあり、産駒から活躍馬も見られず、いまや死没さえ不明のままだ。

 

 

持込み馬の超良血と目されたタイテエムは比較的恵まれ、G1級の勝ち馬こそ出なかったが、シンチェスト(ダービー7着、京都記念)やコーセイ(桜花賞2着、重賞3勝)など11頭の重賞勝ち馬を出した。ブルードメアサイアー(母父)産駒としてマイネルレコルト(朝日杯フューチュリティS)がいる。

 

1992年は、種牡馬引退後はメイタイ牧場で余生を過ごし、25歳、老衰で世を去った。

 

 

ロングエースは代表産駒としてダービー3着のテルテンリュウ(宝塚記念・NHK杯)を出した。他に重賞勝ち馬としてワイドオー(京都4歳特別)、スピードヒーロー)(神戸新聞杯・日経新春杯)、ロンゲット(東京障害特別)。タイテエムと同じ25歳で死亡。

 

種牡馬ロングエースとして特筆したいのは、日本競馬史上初の白毛馬であるハクタイユーの父であること。

 

1979年5月28日、北海道浦河町・河野岩雄牧場で生まれたもので、母は栗毛のホマレブル。父ロングエースは黒鹿毛で突然変異としか考えられず、大きな話題を呼んだ。

 

競走馬としてのハクタイユーは2戦未勝利のままに終わったが、種牡馬として、また、神馬としても活躍。

 

ハクタイユーを祖先とする白毛馬は10頭以上生まれている。

 

(現在、白毛馬といえば、1996年4月4日、これも突然変異で生まれた牝馬シラユキヒメの子孫が有名)。

 

特異な分野ではあるが、ロングエースの血は長く2013年生まれ、ダイヤビジューまで続いていたことは間違いない。

 

 

 

日本初、白毛馬の父として、

 

 

その名を永遠に残すロングエース。