(JR大阪駅北側。古くからある場外馬券場近くの喫茶店、『我楽多ほーる』。土・日ともなれば競馬好きの溜まり場となる。競馬を通じて知り合った『我楽多ほーる』の住人。金儲けには無頓着なマスター・ドイ67歳。妄想おじさんゲン67歳。自称イラストレーター・サイトウサン33歳。自称大学生カンダ21歳。自称ニートのお嬢さんアヤノ24歳。自称歌手志望コノハ。6人が織りなす日常)

 

 

 

かねてから『我楽多ほーる』のみんなで準備していた老人ホームの『生前祭』。

 

老人ホームの飾りつけなど準備は前日に行ない、当日はみんなで駆けつけるだけだった。

 

にもかかわらず朝からドタバタ。

 

 

「あれ?ゲンはどこ行ったん。ゲンは・・・・・・えっ、トイレ?ウンコ?カンダ君、ドア叩いて早よ終わらせといで!」

 

「マスター、そんな無茶な」

 

「ええから、みんな、もう車に乗り込むよ~、言うといで」

 

「へい、へーい。もう、ゲンじいさんも先にトイレ行っとけよ、な。てか、サイトウサン、サイトウサーン、どこ行くの?」

 

「うん。いやいや、ちょっとね。ちょっと、部屋に・・・・・・」

 

 

「なに、なに?コノハ、どうしたん?顔、暗いよぅ。不安なん?歌うの。昔の歌、一生懸命練習してたやん。大丈夫やて。コノハならできるって」

 

「ありがとう、アヤノ。でもなぁ、みんな聴いてくれるやろか。うちより老人ホームの人らの方がよう知ってる歌を歌うなんて、ホンマ、恐い」

 

「大丈夫やて。コノハの歌は、わたしは大好き。みんな大拍手やて。がんば」

 

「うん・・・・・・」

 

 

「ふぅーッ、スッキリした。さぁ、出発しよか。マスター、トイレまで来さすなや。出るもん出たら出て来るんやし」

 

「でんでるもんけんでらでられんけん、てか」 カンダ。

 

「違うし、アホ」 アヤノ。

 

「アホ」 コノハ。

 

 

「さぁさ、車に乗った、乗った。出発や」

 

マスターの号令に従う面々。

 

 

「ちゃう、ちゃう、サイトウサンがまだ戻って来てへ~ん」

 

 

 

ようやく老人ホームについた『我楽多ほーる』の住人たち。

 

イベントのメインとなる食堂兼集会所には、元気のいい老人たちがもう催しの準備を始めていた。

 

手づくりの『生前祭』。近くの保育園の子たちを招待するだけに、『輪投げ』や『おもちゃのボウリング』、『折り紙や紙ヒコーキ』、『紙芝居』などのともに遊べる場を用意。サイトウサンが仕事でなく集中して何かを描いていた一つは、この紙芝居だった。

 

81歳になるコウダさんがサイトウサンの絵を見ながら、懸命に語りの予行演習。

 

 

昼食代わりの『たこ焼きパーティ-』は大阪ならでは、か。タコはもちろん、チーズ、ウインナー、もち・・・・・・中の具材はいろいろ。

 

昔から『これは得意』とする78歳ヨシさんは、朝早くからお萩づくりに余念がなかった。

 

 

今年も元気であることに感謝する・・・・・・『生前祭』。どういった経緯でここにいるかわからないが、人生の最期を待つ身であることに変わりはない。ややもすれば目標を失い、生きることに疲れたこともあるかもしれない。

 

些細な日常にささやかな喜びかもしれないが、『生きている実感』をもってもらいたい・・・・・・小さくてもそのお手伝いになれば。

 

 

そういう思いでこの活動を始めたマスターと妄想ゲン。毎年、自分たちの勝手なエゴを押し付けているんじゃないか?不安はあった。朝顔を合わせた老人たち、元気そうな動き、楽しそうなそぶりを見て、ホッと胸を撫でおろしていたのが本音だ。

 

 

 

カンダ、アヤノ、コノハが老人たちと交ざって準備をし始めるのを見届けたマスターとゲンは、サイトウサンと一緒に階段を上がり食堂脇の2階の一室に入って行った。

 

その部屋の住人オカダ。86歳になる。競馬好きで、かつては『我楽多ほーる』の常連だった。

 

若い時はそうとうなヤンチャだったそうだが、一念発起し仕事に精を出し、小さくともラーメン店の主となった。年老いて身内もなく、店を売ってここへ入居して6年。

 

最近、体調が思わしくないオカダさんをなんとか元気づけたいと、マスターはサイトウサンに一枚の絵を描いてもらったのだ。

 

「よう、オカダさん。きょうはオカダさんの一番喜ぶもんをもってきたで」

 

そう言って、サイトウサンにうながした。

 

サイトウサンは横100cm、縦150cmぐらいの大きな紙一面に描いた馬の絵を見せた。

 

 

栗毛の二白流星。その描かれた馬の名はタニノムーティエ。

 

1970年、皐月賞・ダービー『2冠馬』だ。

 

 

「おお、タニノムーティエ。いやぁー、凄いなぁ、そっくりに描けてる。そうそう、この栗毛。脚2本に白いソックス履いてたな。額の流星、男前やってんで」

 

目を輝かせた。

 

「ええ、描いてくれたん?ホンマに?ありがとぅ。この馬な、いっちゃん好きやった。ワシな、ラーメン屋に働いとったけど、ホンマ言うと真剣やなかたんや。ただ、食うていくためだけ。この馬に教えられたんや、ホンマに」

 

タニノムーティエは静内のカントリー牧場産。オーナー・ブリーダーの谷水信夫氏の信条である『馬は鍛えて鍛えて強くする』ハードトレーニングで育った馬。

 

その成果か、15戦12勝、2着2回、4着1回の成績で皐月賞、ダービーを勝ち『2冠馬』となり、『3冠』確実とまでいわれた馬。

 

2歳時、内をついて挟まれ、ただ一度の4着になった時、オーナーの谷水氏が「それなら馬がいない大外を通りなさい」と指示。そのタニノムーティエが通る大外を『ムーティエ・コース』と呼ばれた。

 

だが、夏の放牧で喘鳴症を発症。菊花賞前哨戦を2度惨敗、菊花賞制覇は絶望といわれた。

 

それでも『3冠』をかけて菊花賞に出走。

 

 

「ホンマ、忘れもせえへん。ずーと後方やった。3コーナーで『いつもやったら、ここから伸びてくんねんけどな』、ムリや、思いながらつい考えてしもた。そしたら、な、な、・・・・・・伸びてくるやんか。大外を。場内アナウンスがやで、あの場内アナウンスが、興奮して、タニノ、タニノムーティエが、大外から、『ムーティエ・コース』を通ってタニノムーティエだ!やで。もう、涙ボロボロや」

 

声を詰まらせ、涙声で話すオカダ。目から涙が溢れていた。

 

 

その目の輝きは、涙の奥の芯まで、キラキラと光っていた。

 

 

(つづく)