菊花賞・距離3000mへ登録する牝馬、メロディーレーン。

 

馬体重338㌔、ちっちゃな、ちっちゃな女の仔。

 

 

9月28日、阪神6R・芝2600m、1勝クラスをJRA最小体重優勝記録を更新して勝った馬。

 

12戦2勝、3着2回、着外8回。正直、G1を狙える戦績ではない。

 

現在、菊花賞登録22頭、メロディーレーンは除外対象馬。

 

 

 

かつて、菊花賞挑戦した牝馬。

 

1954年、中央競馬会(JRA)が設立される以前は活躍が多かった。1943年クリフジ、1947年ブラウニーが勝利し、6頭が2着した。

 

競馬体系が確立し、より近代競馬となってからは出走すら稀となった。スピードと持続力を保つ菊花賞3000mは、牝馬には酷なレースとなったのだ。

 

1970年以降、1977年ケイツナミ10着、1995年ダンスパートナー5着、2009年ポルカマズルカ17着。

 

 

ダンスパートナーといえば半兄にダービー2着、菊花賞3着エアダブリン、全弟に菊花賞馬ダンスインザダーク、全妹に桜花賞馬ダンスインザムードがいる超良血であり、自身、桜花賞2着、オークス制覇した名牝。

 

同年のダービーを制したタヤスツヨシより0.5秒も速いタイムでオークスを駆け抜けたことにより菊花賞では一番人気に支持された。それでもマヤノトップガンに0.6秒及ばず5着に敗退した。

 

 

いまや、牝馬にとっては過酷すぎる菊花賞3000m。なぜにメロディーレーンは挑戦しようとするのか?

 

 

 

父オルフェーヴル、母メーヴェ。2016年2月2日、北海道・新ひだか町、岡田スタッドで生まれたメロディーレーン。

 

岡田スタッドの代表者でもある岡田牧雄氏が所有。母メーヴェも岡田牧雄氏所有で中央競馬で5勝し、繁殖に上げた1番仔がメロディーレーン。

 

岡田牧雄氏の実兄は相馬眼で知られる『マイネル』軍団の総帥・岡田繁幸氏だ。

 

 

岡田スタッドでは1歳馬をえりも分場で育成する。

 

冬場半端ない厳寒の地、えりも。凍てつく地に強風が吹きすさび、夜は人間は一歩も外に出ないという日もあるという。死ぬ危険さえあるからだ。

 

そんな中を夜間放牧するのが岡田スタッドの育成だ。

 

過酷な自然に耐えてこそ、心身ともに馬に芯ができる。

 

 

耐えたメロディーレーン。

 

 

初出走は2018年10月13日。京都2歳新馬戦・芝1600m。馬体重は336㌔だった。

 

17頭立て16番人気、最後方から差して10着。勝ったウルクラフトから遠く及ばず1.8秒差。

 

それでも、上がり3ハロン35秒7は第2位(第1位はウルクラフトの35秒6)。少しでも、爪痕は残したかった。

 

 

未勝利戦、15番人気13着、12番人気3着、12番人気6着、6番人気10着、11番人気13着、11番人気7着、9番人気6着、10番人気3着。

 

必死に走った。

 

やはり、競走馬としてはムリ・・・・・・烙印を押されても仕方がない軽量馬。次へつながる希望を見せなければ、先はない。

 

 

唯一、自慢できるものは、栗東・森田直行調教師が驚く『強い心臓と肺』だった。

 

 

 

2019年6月15日、阪神未勝利戦・芝2400m。メロディーレーン、馬体重340㌔。

 

1番人気ララフォーナが2番手、2番人気ダンディズムが4番手を行く展開。スタート中団だったメロディーレーンは、いつしか後方2番手まで下がっていた。

 

大観衆の視線が前に注がれる4コーナー。3コーナー半ばから静かに進撃を開始したメロディーレーンは中団外に姿を見せていた。

 

そして、直線。

 

 

大外を走るメロディーレーンの姿にどよめきが起こった!

 

 

340㌔、小さな馬が内の馬群を追い抜いて行く。

 

額から鼻面へと、これでもか!というぐらい白く広い大流星。

 

遠目にもハッキリわかるメロディーレーン、自分の証し。

 

 

その大流星鮮やかに躍動したメロディーレーン!

 

 

逃げるボンベールも、先頭に躍り出ようとするダンディズムも交わし去った。

 

 

鞍上・岩田望来の緩めぬ手綱は歓喜のゴール。2着ダンディズムに9馬身の差をつけていた。

 

 

1872年9月2日、ジャンヌダルク(350㌔』がつくったJRA最少体重優勝記録を更新した。

 

 

7月、続く1勝クラス戦を13着と敗れ休養に入ったメロディーレーン。

 

 

9月28日には復帰。阪神3歳1勝クラス・芝2600m。馬体重338㌔。

 

1番人気3歳牡馬セントウル、青葉賞7着馬。3番人気4歳牡馬サダムラピュタ、4番人気4歳牡馬シェラネバダ(全兄はマウントロブソン、ポポカテペトル)。メロディーレーンは2番人気だった。

 

逃げたのはサダムラピュタ、2番手と並ぶように3番手内を行くセントウル。メロディーレーンは後方3番手を行き、最後方にシェラネバダ。前4頭、後ろ6頭と開いた長い隊列のレースとなった。

 

向こう正面から、最後方に並んだエレヴァルアスールとともにシェラネバダが上がりを見せ、最後方になったメロディーレーン。

 

3コーナーから進出を開始した。先に押し上げたシェラネバダを抜き中団に。

 

 

直線、逃げ込みを図るサダムラピュタ!セントウルの追い上げも、届かない。

 

その時だった。

 

大外から突っ込んできたメロディーレーン!

 

 

長距離自慢の牡馬を押しのけ、メロディーレーンが、我が道大外を一気!

 

 

見ろ!この大流星。

 

サダムラピュタの抵抗も2馬身半、突き放してゴール。

 

 

2分37秒1、レース数が少ないとはいえ日本レコードを0.2秒更新。

 

さらには自身がもつJRA最小体重優勝記録を更新した。

 

 

 

菊花賞出走へは、獲得賞金が足らず除外対象。

 

たとえ出走叶ったとしても、『無謀』といえる牝馬の3000m挑戦。

 

 

だが、走りたい。

 

走ってみたい。

 

 

338㌔のちっちゃな、ちっちゃな牝馬が、

 

厳寒の夜、寒風に耐え、吹雪にも耐え競走馬を夢見た。

 

 

いや、生きる術は競走馬であることしかなかったかもしれない。

 

 

芝2600mを勝ってオープンの力を見せた母メーヴェからもらった強い、強い心臓。

 

父オルフェーヴルの血、皆が思いもよらない想定外の底力を発揮する熱い血が、いまこの胸に脈打っている。

 

 

私は走りたい!

 

 

牝馬には過酷な芝3000mでも、そこが、私を唯一競走馬として認められる場所であるならば。

 

 

懸命に、懸命に、走って見せよう。