その名の愛らしさか? 競馬ファンの多くから声援を受けた馬、カレンチャン。
2007年3月31日、北海道千歳市・社台ファームで生まれた。
父クロフネ、母スプリングチケット。2歳上の半兄は短距離で活躍したスプリングソング。その兄の同期には、兄妹の伯父にあたる『最強の1勝馬』といわれたタケミカヅチがいる。
2009年12月、2歳ダート1200m新馬戦、2着デビューしたカレンチャン。
2010年、未勝利戦(ダート1200m)・萌黄賞(500万下・芝1200m)を連勝、フィリーズレビュー(G2・芝1400m)8着。
桜花賞出走はならなかったが、葵S(オープン・芝1200m)2着、潮騒特別(1000万下・芝1200m)1着と、スプリンターとして着々と力をつけていった。
そして、6月、さらなる飛躍のために馬体の成長を・・・・・・休養に入った。
『素直で従順で、ひたむきに前をめざす馬』、乗った騎手たちが口にする共通したカレンチャン評。
故郷北海道で充実の放牧生活を送っていた。
そんな矢先、皐月賞2着馬の伯父タケミカヅチが、疝痛からの出血性大腸炎で死亡。
2011年、4歳となり1月から戦列に復帰したカレンチャンは伏見S(1600万下)3着のあと、2月・山城S(1600万下)1着、4月・阪神牝馬S(G2)1着。重賞初制覇、快進撃を開始した。
そんな折、今度は半兄スプリングソングが疝痛から変位疝を発症、5月8日死亡した。
京阪杯を勝ち、高松宮記念は7着。秋にはスプリンターズSをめざすところだった。無事ならば、兄妹でスプリントG1に挑戦していたはず。
度重なる近親の疝痛からの不幸。わが身にも・・・・・・。
考えている暇はないッ。
ひたすら前を向いたカレンチャン。
7月・函館スプリントを勝ち、8月・キーンランドカップを制覇。重賞3連勝でスプリンターズSへ臨んだ。
10月12日、スプリンターズS。
単勝1.5倍。1番人気は香港からやって来た『スプリント界の王者』ロケットマン。21戦17勝、2着4回。
単勝6.4倍。2番人気はスプリントG1で降着続きの『悲運』ダッシャーゴーゴー。
単勝11.2倍。3番人気がカレンチャンだった。
香港№2ラッキーナイン、スプリンターズS3着・高松宮記念2着サンカルロ・・・・・・、牡馬の強豪がひしめく中、堂々とパドックを歩むカレンチャン。
486㌔の芦毛の馬体は、まだ黒々とし、精気に満ちていた。
普段のつぶらな瞳は鋭い眼光に変わり、勝負におけるカレンチャンに牝馬らしさは、消えた。
レースはヘッドライナーが逃げ、内からパドトロワが続く展開。
ロケットマンは3番手に追い上げ、ラッキーナインも先団へ。
先行馬の後ろ、6番手につけたカレンチャンは4コーナーへ向けて外を通り上昇。
直線、内で前が壁になるロケットマンを尻目に、一気に差し脚を全開。
ハナ、半馬身、クビ、クビ、クビ、ハナ、大接戦となった2着以降を突き放し、
1馬身4分の3差。
完勝。
『カレンチャーン!』、場内に響く大声援を受け、
堂々のゴール。
ひたすらに、ひたすらに前をめざしたカレンチャンは、
『女王』の輝きを身にまとった。
さらなる高みへ・・・・・・5歳カレンチャンの目の前に立ちはだかるのは、
同じ安田隆行厩舎、同じ厩務員、同じ調教助手に育てられ、世話された。気ごころ知れた弟のような存在。
それが、
スプリント界の『気鋭』ロードカナロアだった。
(つづく)