宝塚記念、マーベラスサンデーの載冠。

春G1シリーズは終わった。


5か月前、ダート初のG1、フェブラリーSが行われていた。


1984年、グレード制が導入されて以来、短距離路線の充実でマイル・スプリントG1が増設された。そして、この年ダート戦線に初のG1として格上げされたフェブラリーS。


初の王者にふさわしいと思われたのが、牝馬ホクトベガだった。

1993年、芝のエリザベス女王杯。『東の一等星、北斗のベガ、ベガはベガでもホクトベガ!』の実況はいまも語り継がれる。世代の一等星ベガ3着を破り、ノースフライトを2着に従え9番人気で優勝したホクトベガ。

1996年にはダートのスーパースターとなった。7歳となってダートで覚醒。川崎記念を皮切りに、G2だったフェブラリーSを含め、この年の川崎記念までダート重賞10連勝。10連勝中の2着との着差は平均0.66秒、3馬身半強。

中央G1の歴史に時を超え、再び名を刻む。その時が来た!と思われた。


4月の第2回ドバイワールドカップに招待されたホクトベガは、フェブラリーSに出ることなくドバイに旅立った。8歳にして世界に挑戦!を選んだのだ。

永遠の旅立ち。

最終コーナー、窪みに脚を取られ落馬転倒、予後不良、二度と帰らなかったホクトベガ。


鞍上・横山典弘。『ヤラズの横山ノリ』、レース中に勝負にならないと判断したら追わない。

横山典弘の心にはホクトベガの最後が、深すぎる傷となって消えることはない。




G1・フェブラリーSの初代王者となるのは?

アメリカ生まれの5歳外国産馬ストーンステッパーが、その候補筆頭だった。


新馬戦(ダート)、シクラメンS(ダート)を連勝。

一転、芝戦線を走り始め、11着、6着、6着。ダート3着のあと芝9着。

再びダートに切り替えられ、涼秋特別(1500万下)、神無月S(オープン)、根岸S(G3)、ガーネットS(G3)、4連勝。

ドバイに行ったホクトベガに代わって、堂々の1番人気となった。



11戦5勝、2着3回、3着2回。ユニコーンS10着降着以外はすべて馬券圏内という堅実バトルライン。


芝を12戦走り続けた外国産馬トーヨーシアトル。ダート転向、3連勝。ウインターS、平安S、重賞を連覇して新天地で王座をめざす。


サンデーサイレンス産駒初のクラシック優勝馬、皐月賞馬のイシノサンデー。ダート地方交流重賞・ダービーグランプリでは勝利しており、勝てない挑戦ではない。


芝短距離G1の善戦マン、ビコーペガサス。デビュー時はダート連勝。善戦マン解消のためなら、なんでもやるッ!



そして、面白すぎる馬として、一部ファンに支持されたのがシンコウウインディだ。

生まれた時から脚長の好馬体で評価されたシンコウウインディだったが、いたずら好きで人に良く噛みつくクセがあった。


4歳1月、新馬戦ダートを勝ち順調なデビューも、その後芝で勝てずダートに戻され、あさがお賞(500万下)を快勝。

館山特別(900万下)で事件は起きた。直線、抜け出しかけたものの、内にいるダイワオーシャンに噛みつきに行き、失速。ダイワオーシャンのクビ差2着となった。

気性が激しく、追い抜こうとする馬に噛みつきに行く馬は、確かにいる。オルフェーヴル、ゴールドシップの父でお馴染みのステイゴールドがそうだった。

勝たせまいとする行為、勝ちたい気持ちの表れ。

だが、シンコウウインディは違った。まっすぐ走れば勝てるものを、噛みつきに行くことによって失速しているのだ。


大井の重賞・スーパーダートダービーでもサンライフテイオーに噛みつきに行き、またも失速、2着。


フェブラリーSに登場してきたシンコウウインディには、噛みつきに行くのか、行かないのか?

その方がファンの興味を優先した。


鞍上は名手・岡部幸雄。スーパーダートダービーでは、岡部が乗って噛みつきをやられている。

さぁ、どうなるのか?



ダート初のG1・フェブラリーSは、あらゆる興味の中で行われた。



(つづく)