6戦6勝でダービー制覇。『2冠馬』となったトウカイテイオー。
父シンボリルドルフの歩んだ道。無敗の『3冠馬』。
同じ道を行くトウカイテイオー。
一瞬にして崩れた。
ダービーの表彰式を終え出張馬房に戻る時、歩様に異常。レントゲンの結果、左第3足根骨骨折。
全治6カ月。菊花賞は幻となった。
トウカイテイオー不在となった菊花賞。当然のように注目されたのは、ダービー2着馬レオダーバンだ。
父は8戦8勝、無敗のままに引退したマルゼンスキー。母は1勝馬シルティーク。戦績は2流だが、牝系は名門ビューチフルドリーマー系。
開設して14年目、『10年でダービー馬を育てて見せる』、馬産の何をかも知らず豪語して周りの顰蹙(ひんしゅく)を買った早田牧場新冠支場・早田光一郎氏を救った馬。
後にビワハヤヒデ・ナリタブライアン兄弟を出し、『日高の風雲児』といわれた早田氏。開設10年はとっくに過ぎ、『10年でダービーを獲るはずだった早田さん』と馬鹿にされ、気力も失せだした時に生まれたのがレオダーバンだ。
レオダーバンが生まれた1カ月後、父マルゼンスキーのサクラチヨノオーがダービーを勝った。
『怪物』マルゼンスキーの仔に一縷(いちる)の望みをかけた。
マルゼンスキーと同じように脚部不安に悩まされながらも、4戦3勝でダービーに出走。トウカイテイオーには完敗の2着も、希望の光は見えた。
トウカイテイオーの離脱。『菊』に一番近い馬となった。
秋、単勝1.3倍、勝たなければいけないセントライト記念でクビ、クビ差の3着。
不安を残した。
でも、勝たなければ・・・・・・。いつか戻ってくるトウカイテイオーに、菊花賞馬として挑戦する。
それが、ダービー2着馬の誇り。
皐月賞2着、ダービー8着、シャコーグレイド。
父サクラユタカオー、母サクラクレアー。『サクラ』の申し仔サクラヤマトオー。
レオダーバンを含め、わずか3頭の関東馬。
西の軍団が迎え撃つ。
皐月賞2番人気4着イブキマイカグラ。NHK杯快勝後、無念の骨折。
復帰の秋は、京都新聞杯をシャコーグレイドとともに2着同着。
雪辱は、菊花賞。
京都新聞杯を勝ったのは、500万下条件から4連勝という離れ技を演じて制覇した上り馬ナイスネイチャ。
クラシック初挑戦。希望にあふれた初々しさがあり、あどけなさが残るその瞳は、ランランと輝いていた。
『永遠の夢追い馬』、そのはじめの一歩は、ここからだった。
ナイスネイチャが『永遠の夢追い馬』なら、『永遠のランニングマシン』がフジヤマケンザン。
スパルタ・トレーニングで知られる戸山為夫厩舎で徹底した調教を受け、毎日毎日を走りまくった。
『鍛えて強くする』・・・・・・試練に耐えた。
1993年に戸山師が死去。戸山厩舎の番頭格であった森秀行調教師に厩舎は引き継がれ、森師の合理的手法のもとで、また、走り続けた。
9歳で重賞制覇するなど、衰えを知らない走り。
走るマシン、フジヤマケンザン。その重賞挑戦の最初が、この菊花賞であった。
トウカイテイオー、大きな星が見えない秋、京都・淀競馬場。
菊花賞、歴史あるレースは始まる。
それぞれに、それぞれの輝きをもって集った。
まばゆさに、変わりはない。
(つづく)