引退レースの有馬記念では9着だったメジロラモーヌ。

12戦9勝。3冠トライアルも全勝し完璧なまでの『牝馬3冠馬』、歴史的名牝ではあったが、対牡馬では?

直線に不利があったとはいえ有馬記念の惨敗が、その評価を下げたことは否めない。

桜花賞トライアルから手綱を取り続けた河内洋は、生涯に乗ったニホンピロウイナー、オグリキャップ、サッカーボーイなどの名馬を差し置いてメジロラモーヌを騎乗馬の中で『最強』に挙げた。

騎手のみがわかる真の強さ。

母となり、その血を受け継ぐ仔が期待された。

メジロ牧場に帰って繁殖生活を続けたメジロラモーヌだったが、受胎率が悪く、生まれた仔は脚元の弱い仔が多かった。結局、活躍馬は出せないままに終わったメジロラモーヌだったが、娘メジロリーベラの孫フィールドルージュが地方G1・川崎記念を勝ち、牝系唯一のG1馬となっている。



メジロラモーヌに負け続けた牝馬たち。

その筆頭ともいえた『女優』ダイナアクトレスは牡馬相手に走り続け、多くの喜びと挫折の中、2年後に惜しまれて女優を引退した。

引退後はステージチャンプ、プライムステージと重賞勝ち馬が出て、『女優』ダイナアクトレスを繁殖牝馬として復活させた。

3番仔ランニングヒロインからは天皇賞、ジャパンカップで大活躍するスクリーンヒーロー、4番仔トレアンサンブルからは中山大障害、中山グランドジャンプ、障害で名を成すことになるマルカラスカル、さらにプライムステージの仔からはマイルで重賞2勝のアブソリュートが出るなど、活気ある牝系をつくりあげた。

ダイナアクトレス=女優、その名の元となった馬主の一人だった女優・南田洋子さんが死去した当週には、東京競馬場で孫のトリビュートソングが準メイン競走を勝ち、アブソリュートがメインの重賞・富士Sを勝ち、まさに『女優』の子孫という走りを見せた。



オークス2着だったユウミロクは1989年2月まで42戦を走った。唯一重賞制覇はカブトヤマ記念だけだったが、オークス2着の銀メダルを胸に走り続けた。

ハイセイコー、カツラノハイセイコーと続く父系の血を守り、ユウセンショウ(目黒記念、ダイヤモンドS)、ゴーカイ(G1中山グランドジャンプ連勝)、ユウフヨウホウ(G1中山大障害)を産んだ。

ユウセンショウ、ゴーカイが種牡馬となり、ゴーカイは中央競馬会では珍しい障害馬としての種牡馬入りした馬。

ゴーカイの産駒オープンガーデンも生涯で活躍、G2阪神スプリングジャンプを制覇、G1中山グランドジャンプ2着、G1中山大障害3着。





有馬記念、意地の2着となったギャロップダイナ。

天皇賞、安田記念、G1・2勝、有馬記念2着の実績で種牡馬となった。

決して恵まれた種牡馬生活とはいえなかったが、マルマツエース(エプソムカップ)、オースミダイナー(北海道スプリントカップ)、重賞馬を輩出、ブルードメアサイアー(母の父)として愛知杯を勝つマイネソーサリスを出すなど、与えられた状況の中で精一杯がんばったギャロップダイナらしい種牡馬生活だった。



6着となったサクラユタカオーも、有馬記念を最後に引退。

1800m・2000mで6戦全勝、レコード勝ち3回、というスピードを、種牡馬として産駒に遺憾なく繋げた。

サクラバクシンオー、サクラキャンドル、エアジハード、ウメノファイバーのG1馬。

ダイナマイトダディ、ユキノビジン、テンザユタカ、オースミマックス、トゥナンテ・・・・・・多くの重賞馬を輩出することとなる。

産駒サクラバクシンオーからはショウナンカンプ、グランプリボス。エアジハードからはショウワモダン。競馬史に輝く、サクラユタカオーから『親子3代G1馬』が誕生する。

ショウナンカンプ産駒ショウナンアチーヴが2014年に重賞・ニュージーランドТを勝ち、『親子4代G1馬』をめざす。

2014年現在、種牡馬ショウナンカンプ、やがて種牡馬となるだろうグランプリボス、サクラユタカオーの血を次代に受け継ぐ馬たち。

そこにあるのは、1968年に輸入され、大種牡馬となったテスコボーイから続く血のロマンだ。

ランドプリンスから始まり、キタノカチドキ、テスコガビー、トウショウボーイ、ホクトボーイ、インターグシケン、ハギノカムイオー・・・・・・数々の名馬を輩出したテスコボーイ。

サイアーラインとして、現代へ血を繋いでいるのは、唯一、『テスコボーイの栗毛は走らない』と忌み嫌われたサクラユタカオーなのだ。


(つづく)