1984年、日本の競馬界が導入を決めた『グレード制』。

ジャパンカップ開催に続き、日本競馬の国際化の幕開けでもあった。


G1・G2・G3の格付けによるレース整備。『八大競走』に代表された日本最高峰レースはG1・15競走となり、八大競走に朝日杯3歳S、阪神3歳S、エリザベス女王杯、宝塚記念、安田記念、ジャパンカップ、マイルチャンピオンSが加わることとなった。


さらに、天皇賞のうち天皇賞秋の距離が芝2000mに変更されることとなり、芝3200mで行われる天皇賞秋は、この年が最後となった。




最後の天皇賞秋、芝3200m。

1981年より廃止されていた天皇賞『勝抜け制』。一度勝てば出られなかった天皇賞、その制度が廃止されながらも、出走を見なかった天皇賞馬。


3200m最後のこの年、初めて天皇賞馬の参戦を見た。

春に天皇賞を制したばかりのアンバーシャダイだ。天皇賞春出走後、左前脚に繋靭帯炎を発症。

病み上がりぶっつけ本番だが、いまだない天皇賞2勝馬をめざして出走してきた。




アンバーシャダイと同期。遅咲きアンバーシャダイより、さらに遅咲きキョウエイプロミス。

初重賞制覇は6歳春。デビュー20戦目、ダイヤモンドSだった。

天才・福永洋一、名手・岡部幸雄らとともに『馬事公苑花の15期生』を引っ張ってきた柴田政人を主戦に、レースで負けて、負けて力をつけてきたキョウエイプロミス。

先天的に騎手としての好素質をもった福永、岡部とは違い、努力型名手といわれた柴田政人。

柴田政人にとってキョウエイプロミスは、自分自身の過去だったのかもしれない。

騎手4年目にしてアローエクスプレスでクラシック挑戦直前に、闘将・加賀武見に乗り替わり。辛酸を舐めた。

『悔しかったら上手くなれ!』師匠・高松三太の涙の叱咤に応え、育んできた技術と頑なな精神。

岡部とともに関東の双璧といわれる存在となっても、有力馬への乗り替わりは決して受けなかった。義理人情で騎乗馬を選択する『見事なまでの意地っ張り』、それが柴田政人だ。


その柴田政人が乗り続け、1982年、6歳にしてオープン馬となったキョウエイプロミス。

天皇賞秋は7着も、有馬記念3着で一流馬としての存在感を示した。

脚部不安からの10カ月の休養を経て毎日王冠3着で復帰。7歳、もう後はない。


この一戦に賭ける。




母カバリダナーはオークストライアルで2着となり、本番オークスでテスコガビーの14着。

半姉カバリエリエースはオークストライアルで1着となり、オークスではテンモンの23着。

不運というか、走り時が合わなかった母姉。気性の激しさが成績の大波の原因といわれた。


母よりも姉よりも、さらに激しい気性の持ち主タカラテンリュウ。

新馬戦ではスタートして立ち止まりUターン逆走迷走を演じ、まともに走るようになったら、今度は出遅れグセ。

前代未聞の『電気ムチ事件』の張本人(馬)。出遅れ解消のために、スタート矯正のために使っていた電気ムチ(接触すれば電流が馬の体内に流れる)をレースで使用。なんと、競馬会側が許可したという事件。

話題のこと欠かなかったタカラテンリュウ。悲しい話題としては、タカラテンリュウが未勝利勝ちしたその日に、半姉カバリエリエースはダービー卿チャレンジトロフィーで競走中止、安楽死処分となっている。

暴走ペースで逃げては心房細動で48.3秒遅れで入線。走れば波紋を広げていたタカラテンリュウ。

この年、5歳にして素質開花。ただ、気性難は相変わらずで、金杯7着、東京新聞杯1着、目黒記念春5着、ダイヤモンドS1着、高松宮杯4着、毎日王冠1着。

好走と凡走を繰り返した。


力通り走れば、いや、走らない・・・その真実は誰にも、わからない。




桜花賞馬、オークス2着リーゼングロス。エリザベス女王杯2着ミスラディカル。牝馬で目黒記念1着、3着、ステイヤーズS3着、スタミナ満載牝馬カミノスミレ。

牝馬3頭の出走。




京成杯3歳S1着、朝日杯3歳S4着、3歳から活躍したイーストボーイ。

アローエクスプレス産駒。2000mの距離限定に走り続けた。

クラシック挑戦は皐月賞のみ、アズマハンターの6着。


古馬になって京王杯スプリングH勝ち、安田記念3着、高松宮杯2着、巴賞勝ち、毎日王冠2着。

天皇賞秋、最後の3200m。なぜか挑戦してきた。1年待てば距離は2000m。


何故に、3200m挑戦。何故に。




1980年、皐月賞1番人気で無念の競走中止、トウショウゴッド。彷徨い続ける実力馬。アンバーシャダイ、キョウエイプロミスと同期。

ダービー卿チャレンジトロフィー1着、目黒記念春1着、重賞ではまだ輝きを失っていない。

だが、有馬記念6着、天皇賞春14着、『冠』には遠かった。


アンバーシャダイ、キョウエイプロミスが走る。彼らよりも先に、輝くはずだった。

諦めきれない挑戦。




ひとつ上の全兄は『太陽の仔』天皇賞馬モンテプリンス。

つねに比較された。

兄プリンスが天皇賞を獲った時、ファストはまだ1勝(8戦)。

レースで弱く、怪我にも弱かった。故障・休養の繰り返し。


『賢兄愚弟』、兄が強いために愚か者呼ばわり。

見返してやる、見返してやる、それ一心。

6歳秋に、やっとオープンまでたどり着いた。

そう、たどり着いた。兄にとって当然だったオープンまで、長かった。


勝ち負けじゃない。兄と同じ華やかな舞台。


走れる喜び。がんばれ、オレ。





10月30日、天皇賞秋。

1.トウショウゴッド
2.キョウエイプロミス
3.スピーデイタイガー
4.アラナスゼット
5.アンバーシャダイ
6.フジノテンユウ
7.モンテファスト
8.イーストボーイ
9.リーゼングロス
10.タカラテンリュウ
11.カミノスミレ
12.ミスラディカル


1番人気タカラテンリュウ、2番人気キョウエイプロミス、3番人気アンバーシャダイ。

4番人気ミスラディカル、5番人気イーストボーイ。



タカラテンリュウが逃げた。

気性難よりも、毎日王冠を勝った強いタカラテンリュウをファンは支持した1番人気。


ピッタリ2番手につけたのはキョウエイプロミスだ。

アンバーシャダイ、ミスラディカルがつけた。


その後ろにリーゼングロス、イーストボーイ。


後方にモンテファスト。

最後方がトウショウゴッド、悲壮感が漂った。



単騎一頭、タカラテンリュウのペースに見えた。


最初の正面スタンド前。イーストボーイがかかった。

抑えきれない。

2番手に上がってきた。


さらに、タカラテンリュウに追いつく気配。



2コーナー。


イーストボーイを外々に回し、タカラテンリュウと離れて落ち着かせようとするイーストボーイ鞍上・根本康広。


タカラテンリュウ・嶋田功にとって、誤算だった。


怒ってる。タカラテンリュウは並びかけられたところで、すでに怒っていた。



後ろでガッチリ手綱を絞り、柴田政人が見据えた。

折り合いに心配のないキョウエイプロミス。


あとは、後ろの馬の脚を測るだけ。


伸びてくる馬はいるのか?


やはり、恐いのはアンバーシャダイ。

ぶっつけとはいえ、天皇賞馬。

勝ち方を知っている馬。



3コーナー、必死に逃げるタカラテンリュウ。

イーストボーイの内、2番手に進出したキョウエイプロミス。



後方から、来る馬はいない。



直線、逃げるタカラテンリュウ。

余裕で並びかけるキョウエイプロミス。


勝負あった。



先頭に躍り出たキョウエイプロミス。


後続を待った。



必死で追うアンバーシャダイ。

天皇賞馬の意地。



だが、差が詰まらない。



大外から、伸びてきたのは人気薄牝馬。



11番人気、カミノスミレだッ!

闘将・加賀武見。


諦めない末脚。



内から伸びてきたのは、愚弟の汚名受けたモンテファスト。

鞍上は、兄モンテプリンスにも乗った・・・いま、ミスターシービーで勢いに乗る吉永正人。



熱きゴール。


一番燃えて輝いたのは、



いま、いま、勝つしかない。7歳の英雄、キョウエイプロミスだった。



柴田政人、会心の手綱。



1着キョウエイプロミス

2着カミノスミレ

3着アンバーシャダイ

4着モンテファスト

5着リーゼングロス
























アンバーシャダイ、