厩舎の先輩ホウヨウボーイの引退レース・有馬記念を勝ってしまったアンバーシャダイ。

天皇賞秋を制覇し、有馬記念連覇で花道を飾るべきだったホウヨウボーイ。


天皇賞秋4着だったアンバーシャダイ、有馬記念でワンツーなら万々歳。もちろん、勝つのはホウヨウボーイ。

管理する二本柳俊夫調教師も、ホウヨウボーイ鞍上、二本柳厩舎・主戦ジョッキー加藤和宏も、ピンチヒッターでアンバーシャダイに騎乗した弟弟子・東信二さえも、そう思っていた。


思っていなかったのは、アンバーシャダイだけかもしれない。


社台ファームが充実期を迎えようとしていた頃。ノーザンテーストを主力種牡馬として起用した初年度産駒。当歳時に右膝に裂傷を負い、期待は失せ、放任状態となり、厩舎受け入れ先も決まらないという不遇の中で競走馬となった。

その時生まれた反逆魂が、5歳遅咲きのアンバーシャダイの精神的支柱となっていることを、誰も解っていなかったのかもしれない。

競走馬は勝つしか栄光はない。いまに見ていろッ。


反逆魂が、アンバーシャダイを強くした。





1982年、クラシックを狙う3歳(減表記2歳)馬。


関東ではホクトフラッグとイーストボーイが話題の中心だった。

新馬戦を8馬身差圧勝、函館3歳Sを逃げ切り勝ちのホクトフラッグ。

函館3歳Sの2着がイーストボーイだった。アローエクスプレス産駒。追い込み脚質でレースの流れに乗りきれない不器用タイプ。

それでも京成杯3歳Sではホクトフラッグを差し切り、レコード勝ち。


年末の朝日杯3歳Sではホクトフラッグ1番人気、イーストボーイ2番人気。

ホクトフラッグが勝ち4戦3勝、2着1回。関東№1ホースとなり、イーストボーイは追い込むも届かず4着。

アタマ差2着となったのは、エイティトウショウの半弟、トウショウボーイの甥、トウショウペガサスだった。




関西では新馬戦3着のあと4連勝のサルノキングが注目を浴びた。

新鋭騎手・田原成貴が手綱を取り、後方から爆発的な追い込みで他馬をなで切った。

阪神3歳Sは直前に体調不良で出走取り消し。出走すれば1番人気間違いなし、の存在となっていた。



阪神3歳Sを制したのはトライバルチーフ産駒リードエーティ。6戦4勝、2着1回、3着1回。父トライバルチーフから短距離のイメージはあったが、期待は一気に高まった。



別路線では3戦2勝のワカテンザン。母オキワカ、祖母ワカクモ。

そう、叔父はあの悲運の貴公子テンポイントだ。



そして、まだ見ぬ馬にファンは大いなる期待と関心をもっていた。

北海道静内のセリで、当時の史上最高価格1億8500万円で取引されたハギノカムイオーだ。


半姉は桜花賞・エリザベス女王杯を制したハギノトップレディ。

『華麗なる一族』の御曹司だ。


栗東・伊藤修司厩舎に入厩したが7月に亀裂骨折を負い、そのお披露目は1982年、年明けへとずれ込んだ。


まだ走りすら見ない馬に、人々はサルノキングとの対決を心待ちした。



新しい年、新しい夢が走る。