福永洋一落馬。
騎乗馬マリージョーイは無事。
『あ~、やってしまったか』
だれもがその程度に思っていた。
頭部をしたたか打ち意識不明。ちぎれた舌からの出血が気管に流れ込み、窒息死の危険が迫っていたことなど、思いもよらなかった。
危篤状態。気道確保の応急処置をされて、ただちに関西労災病院に運ばれた。
脳内出血。脳内の血塊除去、危篤状態から脱するまで13日かかった。
意識不明は続く。
徐々に意識は回復、だが、明瞭とはならないままに1年、2年、妻の裕美子とのリハビリの日は続いた。
数歩、自力歩行できたのは1981年9月。『おはよう』という挨拶に『お・は・よ・う』とたどたどしく答えれたのは、12月のことだった。
一歩ずつ、一歩ずつ、生まれた子のように覚えていく。あくなきリハビリはいまも続いている。
息子・祐一がジョッキーとして活躍し、勝つことに喜びを感じれるようになった福永洋一。
デビュー3年目にしてリーディングジョッキー。以降、9年連続リーディング。彼こそ昭和の『天才ジョッキー』であることに異論はないだろう。
昭和の『天才』福永洋一、平成の『天才』武豊。名手・岡部幸雄は分析する。
『ミスのない天才が武豊であり、勝つために何をしでかすかわからない天才が福永洋一』
同期・伊藤正徳は語る。『プロの目から見ても、一体どう乗るんだろうとワクワクさせるものがありました』
リーディングジョッキーの称号も得た息子・福永祐一。いまだ、辛口ファンは多い。
そこには偉大過ぎる『天才』福永洋一の影がある。いまだに、ファンの心から離れない。
衝撃過ぎた結末を迎えた福永洋一の落馬事故。
それでも競馬は進む。当然のこと。
否応なしに桜花賞はやってきた。
マリージョーイも鞍上に山内研二を迎え出走。
折り返しの新馬戦を佐々木晶三で勝ち、続くエリカ賞を福永洋一で勝ったホースメンテスコも出走。
気が悪く、調教で多くの騎手を振り落としてきた猛者。福永洋一も落とされたという。レースでラチを頼りに走るしかない、聞かん気満載のじゃじゃ馬。佐々木晶三に戻り4走目。
阪神4歳牝馬特別7着。本番では真っ直ぐに走れそう。佐々木はおぼろげながらも感触を得た。
4月8日、桜花賞。
1.マルカミノル
2.マーシャルワン
3.クレープラザ
4.シバホーオー
5.ファニーバンブー
6.ジュウジエイブル
7.シルクスキー
8.マーブルマッハ
9.マリージョーイ
10.ホースメンテスコ
11.アグネスレディー
12.サークルカマダ
13.シバライク
14.アイノデバイン
15.ファニーバード
16.レーシングバード
17.メイジシルバー
18.カミノローラ
19.シーバードパーク
20.ダイワプリマ
21.ニシノレディー
22.ヤマニンジェット
1番人気シーバードパーク、2番人気アグネスレディー、3番人気シルクスキー。
4番人気カミノローラ、5番人気ファニーバード。
雨に煙る中、不良馬場の戦いだった。
真っ先に飛び出したマルカミノル。マーシャルワン、シバホーオー、内枠の馬が上がって行く。
真ん中から10番枠ホースメンテスコも上がって行った。ラチを頼らずとも、まっすぐ走っている。
ゲート200mほどで先頭に立ったのはホースメンテスコ、15番人気。
真っ直ぐ走るホースメンテスコ、名の通り父はテスコボーイ。
『これは、勝てるかも』、それほどの感触を佐々木晶三は持った。
不良馬場。アグネスレディー、シルクスキー、カミノローラ、ファニーバード、有力馬は後方に置かれている。
1番人気シーバードパークだけが、4番手に上がってきた。
長い隊列、不良馬場にしては速い流れ。
それは、ホースメンテスコにはピッタリだった。
速い流れが、ホースメンテスコのじゃじゃ馬ぶりを封じ込めた?
いや、要らぬことを考える余裕もなく、レースに集中させた?
直線に入っても、衰えをしらないホースメンテスコの脚色。
外からシーバードパークが追い上げてくるも、その差が詰まらない。
3馬身半差、
ラクラクとホースメンテスコは逃げ切って見せた。
15番人気、単勝41.2倍。
大波乱の歓声を受けながら、意気揚々と駆け抜けて行った。
1着ホースメンテスコ
2着シーバードパーク
3着マーブルマッハ
4着レーシングバード
5着クレープラザ
(つづく)