1970年、古馬戦線。
めざすは天皇賞盾。
京都、名物・淀の坂を上がって下りて・・・ではなく、大阪万博の影響で、仁川・阪神競馬場で行われた。
4月29日、天皇賞春。
1.アカネテンリュウ
2.ニューキミノナハ
3.リキエイカン
4.ヒーローモア
5.シュンサクオー
6.ホウウン
7.ハクセンショウ
8.ヨコズナ
9.ハードリボー
10.プロスパー
11.ダテハクタカ
12.フイニイ
13.ウメノニシキ
14.ダテホーライ 取消し
ダテホーライの直前の取消しによって13頭立てとなった天皇賞。
マーチス・タケシバオー・アサカオー、1968年クラシック3強とともに走り、菊花賞をアサカオーの2着したダテホーライ。重賞6勝を含め10勝を上げ、前年天皇賞春はタケシバオーの4着。有力馬の一頭だった。
伊達牧場の悲願を胸に、1歳下の同じウイルデイール産駒ダテハクタカとともに参戦のはずが、左肩ハ行のため、直前に取消し。野望はダテハクタカ1頭に託された。
ダテホーライはその後、出走を見ず、走ることなくターフを去った。
レースはホウウンの逃げで始まった。
2000m以上を走ったことがない逃げ馬、ホウウン。
そのうち、脚は止まる。誰もが思っていた。
鞍上は『逃げの池江』の異名を取る池江泰郎(現在の池江厩舎・池江泰寿の父)。
甘く見ていた。止まらない。
いち早く察知し、好位からホウウンをとらえにかかったのは、リキエイカンに乗った関西の剛腕・高橋成忠だった。
菊花賞ではアカネテンリュウの2着も、4馬身ちぎられていた。
アカネテンリュウに勝つため、前で早めに抜け出す。願ってもない展開だった。
1番人気アカネテンリュウ、3番人気フイニイ。関東からやってきた2騎は後方で互いに牽制し合っていた。
天皇賞秋2着、3着、無冠の良血フイニイを御すのは『ミスター競馬』と称される野平祐二。
アカネテンリュウ鞍上・丸目敏栄、動けなかった。
1頭で挑戦したダテハクタカとて同じ。
すべてがホウウン、池江の魔法にかかった。例年の京都でない阪神で行われた3200m。
仕掛け所にとまっどった後続。
4コーナーを回って、逃げ切り態勢に入ったホウウン。
早めに仕掛けたリキエイカン。
後方から、アカネテンリュウを斬り捨て脚を伸ばすフイニイ。
残り100m、3頭の競馬になった。
あとわずかッ! もう少しッ! まだまだぁぁあッ!
重なり合った3頭!
わずかに力尽きたホウウン。追い届かなかったフイニイ。
勝ったのはリキエイカンだった。2,3着はクビ、クビ差。
1着リキエイカン
2着フイニイ
3着ホウウン
4着ヒーローモア
5着アカネテンリュウ
7着に敗れたダテハクタカは1972年には障害へ転向し、初障害から4連勝で中山大障害へ断然の1番人気で臨んだが、、パドックで何者かに硫酸をかけられた。
パドックで突然暴れ出したダテハクタカ。暴れ、蹄鉄が外れ、何事が起こったかわからなかったが、右目の異常に気づいた厩務員が見ると、目は白濁していた。
競走を取りやめたダテハクタカだったが、以後2戦したが勝てず、引退となった。
犯人は見つからないままに終わっている。
伊達牧場、力を入れる種牡馬ウイルディール。
ダテホーライが菊花賞2着、ダテハクタカが菊花賞3着。
悲願かけて臨んだ天皇賞も、夢叶わなかった。
そんな中、1頭の若駒が東の空を見つめていた。
(つづく)