ダービーを勝ったッ!
メリーナイス、栗毛の四白流星。
6馬身差、ただ1頭ひた走った。
世代の頂点、ダービー馬。映画『優駿』の主役の座を得たのは、メリーナイスだった。
ゴールの瞬間、渦巻く大歓声は起こらなかった。
6馬身、その強さに呆気にとられた。
それよりも、
馬群の中から飛び出してくるであろうはずだったマティリアルを、人々は捜していた。
勝つのは、マティリアル。信じた多くのファンたち。
はからずも、映画『優駿』の撮影スタッフも同じだった。
場内に設置された撮影カメラは、すべてがマティリアルを追っかけていたのだ。
映画『優駿』クライマックスシーン、生のド迫力を映像に・・・それがゆえに勝った本物のダービー馬を捉えるはずだった。
1秒たりとも映されていなかったダービー馬。メリーナイスには笑えない話。
結局、後日、現役引退馬を集めて模擬レースで撮り直され、何度も撮り直しという過酷な撮影が行われた。
映画主役オラシオンの仔馬役探しも難航した。稀に見る美形の要素をもったメリーナイスがモデルとなっただけに、ついには、栗毛の四白の仔馬に化粧で流星をつけたという。
映画『優駿』こそとんだ騒動になってしまったメリーナイス。
だが、圧倒的強さで得た勝利の価値は揺るぎないものがある、はずだった。
11月、8日。菊花賞。
1番人気メリーナイスは菊花賞をも制し、確固たる最強馬へ・・・意気込んで臨んだが、9着に敗れた。
勝ったのは皐月賞馬サクラスターオー。繋靭帯炎でダービー前に離脱。皐月賞以来の実戦という常識では考えられないローテーションで菊花賞を制してしまった。
『サクラだ、サクラだ。菊の季節にサクラが満開!』
いまも語り継がれる杉本アナの名実況。
とんでもないローテーションで菊花賞を勝ったサクラスターオー。故障さえなければ、3冠馬。
誰もが認めてしまった。
メリーナイスのダービー6馬身差の圧勝は、サクラスターオーがいなかったから勝てた。
すり替えられてしまった。
雪辱を期した有馬記念では、ゲートを飛び出した瞬間に鞍上・根本を振り落としてしまったメリーナイス。
数秒でレースを終えた。
不運メリーナイス。
サクラスターオーには悲運が襲った。
4コーナー手前で馬群にいたサクラスターオーが一気に下がった。
故障だッ!
左前脚腱断裂、指関節脱臼。
予後不良となり、安楽死処分が発表されたが、ファンの嘆願により生きるべく手術が行われた。
闘病生活。
奇跡は起こらなかった。
翌1988年、5月12日。脚が体重を支えられなくなり、さらに右前脚第1・第2指関節脱臼発症、ついに安楽死処分がとられた。
古馬となったメリーナイスは目黒記念を2着のあと、天皇賞春でタマモクロスの14着と大惨敗。
夏、函館記念でサッカーボーイの2着と奮闘したが、その後、骨折、現役を引退した。
ダービー以後、燃え尽き症候群となったか?
何かが、彼のド派手好き気性の炎を消してしまったのかもしれない。
古馬になって『芦毛の怪物』として春秋天皇賞を連覇、宝塚記念を制したのは同期タマモクロス。4歳(現表記3歳)クラシックにはまったく縁がなく、4歳10月までは最下級条件にいた馬。
タマモクロスが1988年の年度代表馬となり、1989年の年度代表馬には同じ84年生まれのイナリワンがなった。オグリキャップ、スーパークリークとともに『平成3強』といわれたイナリワン。地方競馬で活躍、中央にやってきたのは1989年、2月だった。
1987年サクラスターオー、1988年タマモクロス、1989年イナリワン。年度代表馬を連続した1984年組。ともに戦うことは一度もなかった。
4歳クラシックを戦ったのは悲劇のサクラスターオーのみ。
そして、そのクラシックを賑わした馬たちには、ことごとく輝きを失った。
ダービー1番人気マティリアル。スプリングS以後14戦、2年6カ月間勝てず、15戦ぶりに勝った京王杯オータムハンデのゴール後、右前第1指節種子骨複雑骨折発症、手術後、脚の痛みで暴れ出し、ストレス性大腸炎で安楽死処分。
皐月賞2着、菊花賞2着のゴールドシチーは古馬となって7戦未勝利、引退。宮崎競馬場で乗用馬としての訓練期間中、他の馬たちと放牧に出されているなかで右前上腕部骨折のため安楽死処分となった。
何故に、何処で上腕部を? 謎のままの骨折だった。
ダービー22番人気で2着したサニースワローは、ダービー以降34戦未勝利、引退。
菊花賞3着、続く有馬記念2着となったユーワジェームスは古馬となり期待されたが、アメリカジョッキーC5着、目黒記念3着、日経賞7着、脚部不安で引退。種牡馬となったが活躍馬を出すことはなかった。(アメーバで知り合ったパパジェーさんは、偶然にもユーワジェームスの仔が乗馬のパートナーとなっています。やんちゃな仔ですが愛らしく、かわいがられて生きてます。嬉しく思います)
同年代のダービー馬。
しのぎを削った戦友たちとともに、輝き続ける。
メリーナイスの思いだったかもしれない。
だが、友が皆、輝きを失った。
悲しさ癒えないサクラスターオーの死。
メリーナイスにとって、
1988年は、
走ることの意味を失った日々だったのかもしれない。